★気軽に<延命拒否>だなんて言うな ! 今の医療は即実行。考え抜いて決断しないとヤバイ。『大事なことノート』活用下さい

協会の業務

経管栄養の代表格、胃瘻(いろう)は多くの人から嫌われている。
経鼻胃管栄養法の鼻からチューブも同じくだ。
チューブにつながれて延々と生かされる、“むだな延命”措置………。
現実に見たことがなくても、その刷り込みはもはやポピュラーである。
早とちりもいいところ。深く考えもしないで命を粗末にするのは、もったいない。
そんな思いで書いたのが静岡県家族信託協会(当時は「静岡県遺言書協会」)の会報3号である。
※下記のカラムの見出しから、『大事なこと、ノート』(PDF版)を入手できます。

■「延命」について考える特集号

会報「繋(つなぐ)」のテーマは<「延命」について考える>だ。
表紙は、私が制作した後半人生のための超ノート『大事なこと、ノート』をPRしている。
遺言、家族信託もさることながら、終末期の医療、死生観も大きなテーマであり、考えながら書き込めるようにした。

「延命」についてをテーマにした静岡県遺言書協会の会報第3号

「延命」についてをテーマにした静岡県遺言書協会の会報第3号

 

「延命」について、私は《おかしな空気が流れている》と思っている。
講演やセミナーで集まった人たちに「あなたは延命(措置を)してもらいたいですか?」と聞くと、10人が10人「延命はしたくない」と答える。

ジャーナリストの性(さが)で、『これはおかしな流れだな』と思い始めた。
洗脳されたわけでもあるまいに、「10人が10人」延命拒否だなんて

「鼻からチューブなんて嫌」
「胃ろうだなんてとんでもない」
「私は食べられなくなったら死ぬから、それでいい」

高齢・終末期の死をどれほどの人が見ているのだろうか。
見ないまま、周りの誰かから聞いたこと、テレビや雑誌の情報をうのみにしている?
脳梗塞になりました、食べられません。でも人は、それだけでは死なない。
認知症になりました、自分のことさえ忘れてしまった………、そういう状態になっても人は旺盛に生きていく。

 

■10人が10人「延命拒否」だなんて

高齢期、ましてや終末期になれば『こうなりたくはない』というシーンは確かにあると思う。
それを人から聞いたり、友人を見舞ったりする人は、”なりたくない姿を実際に見てしまった”と憂うつになるかもしれない。
だから10人が10人、「延命拒否」などと言い始める。
医療現場の空気もこの数年でガラッと変わった。
「私は延命拒否です」
あるいは家族が医師から「どうしますか?」(高齢なのにこれ以上の積極的な治療をしますか?しても命が長引くだけで治りませんけどね、という意味)と問われて、「もうこの辺で……」と言おうものなら、あっという間に看取りのプランに切り替えられてしまう。

それが全部悪い、とは言わない。
積極治療より静かに看取る方がいい場合もあるかもしれない。
しかしそれは、長く病と向き合って、患者の状況や家族の気持ちを十二分に忖度(そんたく)できての結論ならば、ということでなければならない。
私は父の脳梗塞に”遭遇”して、発症から5日目で医師から「鼻からチューブ(経鼻胃管栄養)どうしますか?」と、父の命の「生殺与奪の権」を委ねられた

 

■長生きなら命の長短を値切っていいのか!?

父は当時、90歳目前。確かに長く生きてこられた方だと思う。
では長生きなら命の長短を値切っていいのか
鼻からチューブは母のことで4年も前から経験済みなので、私は医師の意図を100%理解できる。
医師はこの時点で、父が以前のように「書」を書けるようにはなるまいと思っている。
現在嚥下ができず、このまま点滴だけなら数週間で死亡しそうだとも。
鼻からチューブを入れて胃にまで通せば、栄養価が高い輸液を施せるから体力は回復するだろう。
しかし、回復したところで、最大限リハビリを頑張っても「車いすの生活」以上にはならない。
いずれ寝たきりになるだろう。
ならば・・・・・・。

『死んでもいい』と、さすがにそこまで考えていないとは思うけれど、
<チューブを使っての人工栄養投与はなし>という選択はあるのでは? と思っていたのだと思う。

今、「延命なんて拒否したい」と思っている皆さんは、ここで命を落とす。
なんとも潔いことで、国の医療費補助も節約になるし、家族の療養看護費負担も減らせるかもしれない。
その後、父がどういう経過をたどって死を迎えたかは書かないが……。
(※父は脳梗塞を2016年1月3日発症、翌年の7月17日肺炎を併発して死去しました)
文字通りの「闘病」だったが、父は雄々しく生き抜き命を使い切って、逝った、と思う
家族はそれを見守り、『こういう強さがあったのか』と見直す思いで、見送った。

 

■元気だから「延命拒否」などと言う

言うまでもないが、私が医師に「どうしますか?」と問われたときに、
「歳が歳ですから、そこまでやらなくても」と答えていたら、
昨年の1月中か2月には、父の葬式を出していただろう。
逝く側、見守る側のどちらでも、「命の選択」は突然降りかかる
いい加減な気持ちでは答えないでもらいたい。
たとえあなたが「死ぬ側」で、生死を選ぶ側の人であってもだ。

 

■胃ろうされたら人生終わり、ではない

いや、”その時”なら、さすがに誰もいい加減には答えないだろう。
肝心なのはふだんの言動だ
終末期に自分がどうなるのか、リアルに知りもしないうちから
「私は延命拒否」などと立ち話するように気軽に言わないでもらいたいのだ。
いつまでも(自分だけは)元気で健やかな気でいるから、そんなもったいないことを平気で言える。

鼻からチューブになった、胃ろうを造設された、だから人生もう終わり、だなんて……、人はそんな簡単に死にはしない。
栄養のおかげで体力を取り戻し、自力摂食を回復する人はいくらでもいるし、管をしたままリハビリに懸命な人も大勢いる。
私は、リハビリ病院で絶望的な顔をした患者を見たことがない。
生きたい、という気迫が体中からみなぎっている。
それは介護老人保健施設(老健施設)でも同じだった。

 

■「無駄な延命」1秒もなかった

私の父の場合、痰の吸引が施設では困難となり、やむなく老人病院に移ってから様相が変わった。
老人病院は寝たきりの人が多く、父も転院時には車いすだったが、やがて寝たきりになった。
あるかないかくらいだった筆談も、完全に止まった。
体力が落ちたのだと思う。
昼間、うとうとしていることが多くなった(傾眠状態)。

しかし最後まで、母が陥ったような意識のない”準植物状態”にはならなかった。
だから父の闘病の1年7か月は「無駄な延命」など1秒もなかった
無駄どころか、命を使い切った堂々たる生きざまだったと思う。

 

■日本一「延命」に心砕いた『大事なことノート』

父の最後の期間の生と死は、私に強い影響を与えている。
「無駄な延命」など、ないと思うようになった。
だから「延命拒否」という言葉も嫌いだ。
何をぜいたくを言うか!と言いたくなる。
たまさか今、元気な者たちのごう慢であろう。

もちろん自分の命だから”命の多寡(長短)””命の質”は自分で決めればいい。
誰に説かれるでもなく、自分で選ぶべきだ。
ただ、お節介な私は「実際に見てから決めたらどうですか?」
「いま健康なあなたが、頭で決めることではないですよ!」と言いたくなる。

『大事なことノート』に<医師へのお願い書>を追加、活用してほしい

 

静岡県遺言促進協会会報「繋(つなぐ)」第3号の表紙では、『大事なこと、ノート』を強くアピールした。
延命」については日本一ていねいな解説と選択肢が提示されている。
認知症の対策についても詳しく触れた。
自賛になるが、こんな『ノート』、他にはない。

 

■「延命拒否」は時代に好都合

人間だって老いる。
老いることは恥ではないし、あきらめることでもない。
私も、あなたも老いる。両親はさらに老いている。
そういう中で現在という社会は、「自分の死は自分で決めてください」、と言い始めている
自分で決めなければ、子(家族)に決めさせようとする

それが高齢期ならば、
「もう十分じゃないですか。よく頑張ってこられましたね。お疲れさまでした。ありがとうだね。家族に感謝しなきぁだね」と言われる(暗に『延命だなんて言わないで死を受け入れましょうよ』と促される)時代に来ている。
病気や老いの下り坂でさまざま遭遇する事態に、何の準備もせず、何も決めないで、のほほんと生きていられる時代ではなくなりつつあるようだ。

だから「私は延命拒否」と言っている人は、そんな時代にとってはまことに好都合。
子はまともにその言葉を捉えて「母は生前から『延命はしなくていい』といっていましたから」というだろう。
《もう十分だね、家族に感謝だね》という社会の”延命やめろの暗黙のコール“に乗せられて、命を仕舞うことになってしまう。

本当の本当の信念がそう言わせるなら、それも結構。
しかし、何もわかってもいないのに、流されるように雷同するのだけは、やめてほしい。

 

■「尊厳死宣言」と「事前指示書」

会報第3号、2-3ページでは「尊厳死宣言」と「事前指示書」の違いをていねいに説明した。
「尊厳死宣言」は不治の病の末期に蘇生措置を拒否して静かに死なせてもらうための宣言書。
「事前指示書」は医師や看護・介護スタッフと患者や家族がミーティングを積み重ねて、どういう治療と死に方を望むのかを伝えるための一種の覚書。

自分の生と死について真剣に考えるきっかけになるので、こういう書類を作るのも悪くはないと思う。
しかし、くれぐれも見栄や想像力(間違った、あるいは事実誤認した想像力)で自分の命を自ら値切るようなことはやめてほしい。

※2022年12月16日記述
私は「事前指示書」をあらため「私の後期医療に関するお願書」と名付けた文書を、家族に預けています。
その内容を具体的につづったブログ記事を、以下のカラムから読むことができます。

★《決定版!》最期の医療へ「私のお願い書」、軽々しく「延命拒否」とは書かない!!

 

■私は「延命の出口」を決めている!

会報第3号4ページ目に、私の延命についての考え方を述べた。
延命するかしないか」を考える生死のステージは4つある。

  1. 病院に救急搬送されるとき(救命救急)
  2. がんなど治る見込みのない病の末期(尊厳死を考えるとき)
  3. 脳梗塞や事故などで慢性的に重篤な状態にあるとき(病気があるとき普遍的に起こりえる場面)
  4. 老化により終末期を迎えているとき(いわゆる”寝たきり”になる過程)
意識を完全喪失し回復することがないなら"静かに撤退"

意識を完全喪失し回復することがないなら”静かに人生から撤退”

私の答えは単純だ。

《私に意思や判断能力があるなら、生き続けられるためのあらゆる措置をお願いします。しかし意識を完全喪失し回復不能なら、命を維持する措置は極限まで落とし(胃ろうや鼻からチューブをやめて、皮下点滴に戻し)、ある程度の時間をかけて静かに死なせてください》

一言で言えば、私は「延命」の入り口では延命のための措置を拒否しない
ただ「延命の出口」だけはしっかり決めている、ということである。
意識が回復不能、準植物状態になったら皮下点滴に戻してくれ、と。

これなら医師が殺人罪に問われることはない。
チューブを体から外しても、すぐに命が消えてしまうほど人間はヤワではない。
皮下点滴でも、数週間は生きられる。
“お別れ”するには十分な時間だ。

これを私は「お願い文書」として家族に渡してある。
もちろん私が署名し実印を打った。
家族にも署名捺印してもらった。
病の進行によって、そろそろ終末に近いと感じたときに家族から医師に手渡し、理解していただくという段取りだ。
はじめから重篤な病の場合には、入院の初期から主治医に渡し、スタッフにも周知してもらう。

 

■超ノート+「延命」会報、差し上げます

なんだか私の話、うっとうしいことばかり書いたようで気が引けるが、
要は「いただいた生命(いのち)だから私はていねいに使い切りたい」と思っていることをお伝えしたかった。

大事なこと、ノート』も『遺言促進協会会報第3号』も私の想いを色濃く打ち出している。
個性がきわめて強い。
しかし、真剣にご自分の生死(しょうじ)を考える人には必ずや参考になると思う。
まだ部数が残っているので、関心のある方はお申込みください。
冊子版は終了したので、PDF版でお届けできます。申込は以下のメールフォームからどうぞ)

《メールフォーム》★「延命」を左右する医師へのお願書付き『大事なこと、ノート』差し上げます

 

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静岡県家族信託協会
行政書士 石川秀樹(ジャーナリスト)

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この記事を書いた人

石川秀樹 行政書士

石川秀樹(ジャーナリスト/行政書士) ◆静岡県家族信託協会を主宰
◆61歳で行政書士試験に合格。新聞記者、編集者として多くの人たちと接してきた40年を活かし、高齢期の人や家族の声をくみ取っている。
◆家族信託は二刀流が信念。遺言や成年後見も問題解決のツールと考え、認知症➤凍結問題、相続・争族対策、事業の救済、親なき後問題などについて全国からの相談に答えている。
◆著書に『認知症の家族を守れるのはどっちだ!? 成年後見より家族信託』。
◆近著『家族信託はこう使え 認知症と相続 長寿社会の難問解決』。
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