★延命したいなら「鼻からチューブ」。父が脳梗塞、家族は突然に最終決断を迫られる!
父はいきなり崖っぷちに立たされてしまった──。脳梗塞で倒れ今、「経鼻栄養」にするかどうかを迫られている。いや、直接的に”最終決断”しなければならないのは「患者家族」である私だ。発症から
父はいきなり崖っぷちに立たされてしまった──。脳梗塞で倒れ今、「経鼻栄養」にするかどうかを迫られている。いや、直接的に”最終決断”しなければならないのは「患者家族」である私だ。発症から
「寝たきりで延々と生かされ続けるのはかなわない」そういう"空気"が少しずつ広がっているようだ。でも、いきなり「尊厳死宣言」では過激すぎる。もっと「自分の意思」と「医療側の事情」をつなげる文
「延命治療拒否」が最近、流行にでもなっているのだろうか?拒否するのは勝手だが、これが”社会的な空気”のようになるなら「それは違うぜ!」と言っておきたい。 (さらに…)
父の病室でこんなことを思った。■「個室」より「4人部屋」の方が安全この部屋はベッドが4床あるので、人がひっきりなしに往来する。個室にしてもよかったのだが、救急車で担ぎ込まれたその日、病棟の
談話室から自室に戻り、父は車いすを窓辺に寄せた。私の位置からは南幹線の車の往来が見え、その向こうにグランシップ(静岡県の大型コンベンション施設)が映っている。聴き取りにくい声で「あれはグランシ
よい病院、悪い病院がある。しかし同時に私たち患者(やその家族)も、よい患者・家族と悪い患者・家族がいることを自覚していなければならない。父が脳梗塞で倒れ、混乱のさなかに体験したことから、私はそんな
facebook趣味が高じて、以前はSNSを中心としたもう一つのブログを書いていた。そのブログをきょう整理していて、興味深い記事を見つけた。2014年5月31日の記事だから、もう3年前にな
自分はどのような状況なら「延命」を望まず、静かに死を受容するでしょうか。「尊厳死宣言」のような居丈高な物言いでなく、謙虚に死を迎える覚悟。私を生かすため懸命に英知を絞り努力してくださっている医
正月3日、着替えを持って父がいる「池田の街(老健施設)」を訪ねた。いつも愛想のない看護師が珍しくはしゃいだ声で「いま、書初めやってもらっていますよ」と言った。 (さらに…)
90際の父が脳梗塞になって、病院やリハビリ、介護施設と、いろいろつきあいが多くなった。どこも一所懸命やってくれ、それはとてもありがたいのだが・・・・・。初めて患者家族になってみると、100点満
先日書いたブログ記事をFacebookに紹介しようとしたところ、かなりの長文になってしまった。「延命のための延命は拒否」という言葉に反応して、「それは違うでしょ!」と声を荒げたような記事だった。
<人類が初めて遭遇する「寝たきり100歳社会」の悪夢───>朝刊下の「週刊新潮」広告のど真ん中に載っていた見出しだ。言葉のおどろおどろしさに比べて文字が小さかったので、気に留めた人は少ないかも
押し隠していた敗北感に、闘争心の火を付けたのは、61歳での「行政書士試験」再挑戦だった。ジャーナリスト、行政書士の私の原点。
『監察医 朝顔』(フジ系、月曜夜9時)を毎週みている。朝顔役の上野樹里さんの顔立ちが好きで、もちろんストーリーもよいのでみていたのだが、最近、注目シーンが加わった。朝顔の父・万木平(まき・たいら、時任
人生終末期の「延命拒否」についてあらためて考えています。1つ重要なことに気がつきました。「延命拒否」というとき、私たちは「入り口」のことばかりにとらわれています。しかし今、議論が必要なのは
父が脳梗塞で倒れ発症からわずか5日後、「鼻からチューブを入れて栄養補給するか(経鼻栄養)」担当医師から選択を迫られたことを、先日書いた。このことはジャーナリストとして、行政書士として、人生終末期の
『認知症の家族を守れるのはどっちだ⁉ 成年後見より家族信託』の出版から、1年がたちました。世界は一変してしまいましたね。出版した当時、私が気にしたのは、本の売れ行きと、読んでくれ
ジャーナリスト石川秀樹です。今は「家族信託」の専門家。相続対策の総合プロデューサーとして静岡市で行政書士事務所を開いています。老後は、財産があってもなくても問題山積みですね。私は今