2022.01.07
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実家の父が認知症!? 心配だから家族信託をしたいけれど、近くに専門家が見つからない。どうしよう……。 こんな方、少なくないのでは? 誰に相...
2022.01.07
実家の父が認知症!? 心配だから家族信託をしたいけれど、近くに専門家が見つからない。どうしよう……。 こんな方、少なくないのでは? 誰に相...
もっと家族信託! 石川秀樹のブログです
成年後見制度を、多くの人たちが間違って使わされている。
金融機関がミスリードする起点となり、ふつうの家族が成年後見制度に“巻き込まれて”いる。
制度をよく知らないまま成年後見を使ってしまった家族は、悩み苦しみ、後悔する。
認知症800万人時代の今、成年後見制度が存在する意義が全くないとは言わない。
なくてはならない制度だし、一部の人にとっては最後の救いにもなる。
しかし、ふつうの家族がこの制度を使ってはいけない!!
現在の「成年後見制度」の仕組みと運用では、家族は、傷つくばかりだからだ。
成年後見制度は、後見される人(以下「本人」と表記する。)の財産を守る目的で作られた。
誰から守るというのだろう。
実は「守る」と考えてしまうからこの制度はおかしくなってしまった、と私は考えている。
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成年後見制度は、本人に代わって公的代理人が財産管理をして、管理能力を喪失した本人の生活を立ちいくようにする制度である。
本来、敵も味方もないのだ。
本人の残存能力を活かして、本人らしく生きるためのお手伝いをする、というのがこの制度の目的だ。
ところが2000年に成年後見制度がスタートし、家族が成年後見人になると、存外、不正を働く家族が続出した(とされる※)。
それを見て、大慌てで制度運営者たちは「何とかしなければ」と思ってしまった。
はじめから「家族は敵」と見るような、制度ではなかったのに、後からこの制度は、変質した。
「家族の不正や横領を防ぐ」が、いつの間にか制度運用のカギのようにみなされるようになり、
法律バカたちが独善的な正義感で、おかしな運用を始めてしまった。
※なぜ(とされる)とカッコ書きにしたか、その理由は―――
法曹界の後見制度関係者が言う「不正続出」は、過剰反応ではないか、と私は思うからだ。
以下、最高裁の統計数字を示す。
成年後見制度の主旨は、本人の財産を守ることと、本人の身上を監護することにある。
残念ながら、①家族が本人のお金を使えるようにしたり、②金融機関が安全に(自分が“火の粉”をかぶることなく)お客さまのお金を出し入れできるようにするためにあるのではない!
しかし実際は、まさにこの2つの目的を達成するために成年後見制度は使われている。
本人のためではなく、本人の家族※と銀行のために使われているのだ。
なぜそうなってしまったのか。
後見の申立をする人は、(本人ではなく)周りにいる家族の誰か、というのが大半だ。
その家族※が、成年後見制度を利用して、ほぞをかんでいる。
国が創設した制度なのに、その制度を使った家族が激しく後悔するなんて、あってはならない姿である。
家族はなぜ、「こんなはずではなかった」と思うのか。
「この制度は本人を守るため(だけ)の制度であり、それ以外のことは眼中にない」という根本原理を知らずに、家庭裁判所に“淡い期待”※をもって成年後見開始の審判を申し立ててしまうからだ。
家族はこんな風に“淡い期待”を抱いている※。
「成年後見人は”一時的に”本人を代理してくれる人。
(例えば本人が認知症になってしまったために)
銀行に凍結されてしまった定期預金を解約してくれる人だ」と。
制度運営者から見れば、完全に勘違いである!
しかしこの思い違いは、家族が悪いのだろうか⁈
「制度のイロハも知らない家族が悪い!」
と、この制度を作った人たちはいうのだろうか。
この制度の一翼を担ってプロとして成年後見人を務めている士業たちは、本当にそう思っているのか?
「深く制度を調べもせずに、成年後見の申立てをしたから悪いのだ」と。
逆である!!
事務所に相談に来た人に、「成年後見制度には、家族から見たらとても使いにくい面がありますよ。例えば、………」という風に、個別、具体的に、相談者の事情に合わせて、「成年後見制度は、ここは利用価値があるけれど、一方、こんな不都合なことも出てきますよ」と、懇切に説明しただろうか。
家庭裁判所も同様である。
私が家族のことで静岡家庭裁判所に成年後見関係の書類をもらいに行ったとき、この制度についての説明はほとんど聞けず、別室で「後見制度支援信託※」のビデオを見せられただけだった。(いきなり「後見制度支援信託」である!家族は普通、後見制度支援信託があるなんてことは知らない。知りたいのは、成年後見制度のこと。もっと詳しく、制度のメリット・デメリットのことを専門家に説明してもらいたくて、勇気を奮い起こし今まで入ったこともない家庭裁判所の門をくぐるのだ)
※後見制度支援信託 後見制度による支援を受ける人(本人)の財産のうち,日常的な支払をするのに必要十分な金銭のみを預貯金等として後見人が管理し,それ以外の大きな金銭は信託銀行等に信託する仕組みのこと。この信託からお金を引出すには家庭裁判所が発行する指示書が必要。
信託銀行や信託財産の額を決めるのは弁護士,司法書士の専門職後見人で、家庭裁判所の指示を受け信託銀行等と信託契約を結ぶ。
契約に関与する専門職後見人への報酬は15万円-30万円程度。報酬は成年被後見人の流動資産の中から支払うことになる。
一連手続きが終わると親族後見人と交代し、以後、親族後見人が後見を担う。
認知症になって、本人や家族は困惑している。
何をしたらいいのか、皆目わからない状態だ。
よくよく思い詰めて家庭裁判所に行く。
しかし、そんな本人や家族への応接は、職員にとっては日常的な仕事にすぎない。
だから扱いが雑になる(←では困るのだ! 本当に!!)
「家族の一大事」を職員たちは忖度(そんたく)できない。
想像力が足りないのだ。
裁判官に気を遣うより、困った家族に思いを向けなさい!といいたい。
だから私の元に届く相談者の声は、「こんな制度だとは思っていなかった」から始まる。
事情を聴けば、これは専門家が後見人になった方がいい、というケースも時にはある。
だから現在の成年後見制度に士業がかかわることを、私だって「すべてダメ」とは言わない。
しかし事務所を訪れた相談者に、ことを分けてていねいに説明しないというのは、プロとして失格だ。
成年後見制度を使うかどうかは、普通の家族にとっては一大事である。
大事な決断をしなければならないのに、家族は制度を熟知していない。
しかしそれは、家族の落ち度ではない(成年後見の矢面に立つ、銀行窓口や地域包括支援センター、あるいは行政の窓口でさえ、この制度の中身について十分理解していないではないか。まして普通の市民においておや、である)。
だからこそプロは、制度のよいことも悪いこともすべてを開示し、説明を尽くして、利用する側の判断を待つべきなのだ。
その際、「一度申立てをしたら引き返せない制度であること」も、ゼッタイに伝えなければならない。
もともとこの制度は、限りなく行政側の「措置」に近い、強権的な一面がある。
だからこそ、“離脱の自由”が保障されていなければいけない!!
なのに、離脱の自由がない。家庭裁判所がそれを許さない。
だから「一度使えば抜け出せない。これが制度の根幹だ」という説明は、ゼッタイに省いてはならない。
「それを言ったら客(制度利用者)はいなくなる」というなら、
この成年後見制度は、「公的な制度だ」と、名乗る資格がない!!
この点、家庭裁判所に、強く、強く言いたい。
家庭裁判所は、成年後見制度の一方の当事者である。
というより、制度上“親玉”ではないか。
責任者なんだよ!
さまざまな最終的な決定権を有するのだから、誰よりも責任が重い。
家庭裁判所の窓口(調査官や秘書官)は、責任者(裁判官)の立場を代行して、制度の入り口で困惑している市民に対しては、きめ細かく相談に乗り、成年後見という制度について最大限の説明をし、市民が十分に理解した上で申し立てをするかしないかの判断をするよう、手助けしなければならない。
それを怠っているから、官製の後見制度であるにもかかわらず、ここまで批判にさらされるのだ。
最高裁判所は毎年、「成年後見事件の概況」を発表している。
”事件”というので大げさに聞こえるが、ようするに利用状況の統計だ。
最新の令和4年版で私が注目したのは「資料7」である。
主な申立ての動機別件数───
1位は「預貯金等の管理・解約」。
ダントツで3万6000件を超え、9割超の人が銀行等の預金口座凍結に悩みこの制度に駆け込んだことが分かる。
制度創設から20数年、変わらない傾向だ。
2位は「身上監護」、2万7000件超。介護保険契約も1万6000人を超える。
介護保険申請や施設入所等のために、これほど多くの人が成年後見を使わざるを得ない現状。
独り身や家族の援助が得られず市町村長申請が急増していることと関係しているのかもしれない。
不動産の処分が1万3600人超、保険金受取で6200人。
これらは預貯金解約と同様「資産凍結」がらみ。
重複回答も多いのだろうが、3ケース合わせると総計56,176人。
この3ケースで何と142.2%と、「100」を超えてしまう。
さらっと書くと、「まあ、そんなものか。<預貯金>が多いな」くらいの印象に終わってしまいそうだ。
しかし冷静に上の数字を分析してほしい。「大変なことが起きている!」と思わないか?
全体の9割超もの人が「(本人の)貯金をおろせない」「定期預金が解約できない」からと、成年後見申立てをしてしまっているのだ!
成年後見の入り口が“お金の問題”であることがありありとわかる。
実は<平成30年調査>から最高裁判所は、各事例の数字だけではなく、前事例に対する「比率」を出すようになった。
(はじめは「ご親切に。わかりやすいよう%もつけてくれたか」と思ったが、どうも意図的だったらしい!)
最高裁が出した比率は、私が計算した赤字の数字とはまったく異なる。
<こちらが最高裁のグラフ。上の私が作成し直したグラフと見比べてほしい>
最高裁は10個ある「動機」の合計を100として、動機間の比率を割り出した(黒い数字の方だ)。
私は「この比率の取り方はピントがズレている」と思った。
いや、預貯金比率を低く見せたくて、わざとやったのではないか。
回答は「重複回答OK」であるから、グラフを正しく認識するには、この年の申立件数(3万9503件)を母数にして、「各動機」を割るべきである。
最高裁がそんな姑息を行ったので私は、どの動機が申立者の何パーセントになるか示すため、独自にその数字を算出したわけである。
“資産凍結絡み”のグラフついては、数字と比率を赤い数字で表記した。
答えは明白だ。成年後見申立ての主動機は「財産管理」であり、中でも「預貯金等の管理・解約」が圧倒的。
先ほどの私の分析(「100%超え!」)の正しさを証明してくれた。
最高裁が出した比率は、「預貯金等の管理・解約」という圧倒的な動機の印象を薄める効果を持つ。
あらためて言う。姑息である!!
なぜ最高裁はこのような“小細工”をやってしまうのだろう。
それは心理的に、最高裁官僚たちが追い込まれているからである。
最高裁は2019年3月、「成年後見人は親族が望ましい」と、従来の運用方針を一転させるような発言をした。
(発言したのは、成年後見制度利用促進のための専門家会議の席上である。朝日新聞が3/19日付で報道)
親族後見人は令和4年現在19.1%で“絶滅危惧種”になりかけている。
この制度運用は「成年後見人には家族がなれる」と思っていた家族の期待を完全に裏切った<グラフ参照>。
しかもこの制度、(先ほど書いたように)離脱の自由がまったくない!
その当然の結果として、成年後見制度は国の鳴り物入りのテコ入れ※にもかかわらず、利用が一向に伸びない。
※国は平成28年5月、「成年後見制度の利用の促進に関する法律」を施行した。(これについては後でもう一度解説する)
この法律施行前後の動きを伝えれば、利用が増えたのは「市区町村長による申立て」のみだった。
本人や親族による申し立ては、依然として低迷したままである。
以上の分析から、裁判所側からこの制度を本気で変える気はないだろうと思われる。
最高裁の「親族後見人を増やす」という方針転換も、強まってきた後見制度批判の矛先をかわす狙いであり、
制度の根幹を変えていく気はないと推測できる(この点も後述する)。
政治の動きを見ても、今の成年後見の在り方については一切疑義を差しはさまず、
「とにかく制度を作ったのだから、活用されるようにしろ!」であるから、この制度は今のまま続くだろう。
残念としか言いようがない。しかし、
制度が変わらないなら、利用者側が「利用の仕方」を自ら考え、注意深く対応していくしかない。
その点で心配なのは、銀行(金融機関)や行政、地域包括支援センター等が、成年後見を「よい制度だ」とうのみにして、
<制度があるのだから、使ってもらおうよ(その方が私たちのリスクが軽減されると)>に傾いていることだ。
「認知症対策なら成年後見」と制度に丸投げすることに、まるでちゅうちょがない。
現状をもう少し深く知ってもらいたいので、グラフに戻ろう。
「身上監護」を除けば、すべて単発の”困り事”のための申し立てである。
また「介護保険契約(施設入所等)のため」と「身上監護」以外は、”本人(被後見人等)の財産を現金化して活用したい”ための申立てだ。
あえて繰り返すが、成年後見制度は①本人の財産を守る、と②本人の身上保護をする制度である。
本人が意思能力を失った後でも、人間らしく生きてもらうための制度だ。
しかしグラフから伝わってくるのは───
家族がお金を引き出せなくて困り果て、成年後見人に泣きついている図でしかない!
この場合、家族は本人の金を遊興費に使いたくて申し立てているのではないだろう。
本人に預貯金があるなら、そのお金は本人の療養看護費に充てたい、そのための申立てのはずだ。
至極まっとうな理由ではないか。
こんなに分かりやすい家族(及び本人)の希望が、成年後見制度を使わなければ実現できない、というのがそもそもおかしい。
気の利いた銀行、生保なら、家族から事情を聴いて「会社の判断」として何らかの解決策を提示できるはずだし、その能力もある。
それを「後見制度をお使いください」と、あえて制度に誘導している、というのが現実であることがグラフから伝わってくる。
ちょっと結論を急ぎ過ぎた。
もう少していねいに「成年後見制度」の光と影について説明しよう。
読んでお分かりのように、私は現行の法定後見制度の在り方をよいとは思っていない。
何がいけないのか、ひとことで言えば───
この制度をほとんど理解していない人を別の動機で誘って引きずり込み、(本人が死ぬまで)足抜けさせない制度にしている、からである。
これほど“問題ありの制度”なのに、法定後見(成年後見・保佐・補助)制度は、あまりに知られていない。
最近は、「成年後見人という言葉は知っている」という人が少し増えてきた感じがあるが、では制度の中身についてはどうかと言えば「まるで知らない」という人が大半、というのが現状だ。
高齢者が身近にいない人が「その程度の認識」だというのは、まあ、仕方がない。
しかしこの問題と日常的に向き合う人、例えばケアマネジャーとか銀行や生命保険の前線にいる人たち、行政の人までが、「正確な知識は持っていない」のでは困る!!
もう一度繰り返す。
「預貯金等の管理・解約」のために年間4万人近くもが後見開始等の審判を申し立てている!(最高裁資料7)
これは「申立て動機」の91%強を占める。
この数字を、制度運営を担っている最高裁までが「問題だ」と気づいていない。
まったく、ため息が出る。
さらにグラフを見れば、「保険金受取」のためも6,271人いる。
受取人が認知症なので「手続きしません」と言われているのだ。
気の毒……、としか言いようがない。
申立てしてしまった家族の思いは、もちろん分かる。
<本人が病気になった、介護度が進んでいる。本人は預金を持っている、あるいは死亡保険金の受取人になっている。ならば本人のお金を本人の療養費に回そう>
そのように考えるのだが、現実はお金が手に入らない。
当てにできるはずの数百万円が、「認知症」というだけで誰も動かせなくなってしまう。
定期預金も“動かせなくなってしまった大きなお金”の典型だ。
「定期にして」と高齢者を誘うのは、銀行の窓口である。
その同じ窓口が、預金者が認知症になって現れれば「あなたの意思能力が確認できないから、定期預金の解約はできません」と言うのだ。
心配した家族がついて行けば「ご本人の判断力が落ちておられるようですから、ご家族でも”代理”はできません」と言われてしまう。
「じゃあ、どうすればいいんですか⁈」と気色ばむと、
「成年後見人を付けてください」。
保険のコールセンターでも同じ。
判で押したように「その場合は成年後見人を・・・・・」。
この対応、日本中で行われているからこれに異を唱えるのは勇気がいるが、
私は「成年後見制度に(金融機関側が)便乗している!!」と言いたい。
もはや、「金融機関が”誤用”してお客さまを(劣悪な)制度に追い込んでいる」レベルではない。
成年後見制度という「丸投げできる制度」ができたので、そこに誘導しているのだ。
銀行の言う、「本人に意思能力・判断能力が残っていない場合、本人を代理できるのは公的な代理人である成年後見人だけ」というのは、民法的には正しい。
しかしだからと言って、本人の通帳(からお金)を動かすには「成年後見人でなければだめだ」、というのは短絡だ。
金融庁も、「成年後見人を使え」などという通達は、出していない!!
口座名義人が認知症である場合、取引する(預金引き出しに応じる)か否かは、(契約当事者の)銀行の裁量に任されている。
金融機関側がまじめにこのテーマを引き受け、結論を出せばいいだけの話だ。
行内で深い論議もせずに、口座凍結、または公的後見人になら解除する、という二者択一しかないと言うなら、銀行の自治はどこに消えたのだ?
お客さまのお金を預かっているという誇りと責任感はどこに行った?
自行でその都度まじめに審査する手間を省いて、手っ取り早い行内マニュアルでお客さまに「成年後見制度を使え」と強いるのは、銀行の責任逃れではないのか?
(ひとたび成年後見人を使えば以後お客さまは、長きにわたり金銭と精神面で大きな負担を負うことになる。そんな負担を、天下の銀行がお客さまに負わせようとは、サービスという「言葉」を銀行は忘れてしまったのか?)
※上記の下線部、茶色の文字で書いた部分への注釈
●全国銀行協会は金融庁の指導のもと、2021年2月になって「(やむを得ない事情があるときには、例外的に)認知症の家族が本人に代わって、本人の口座から現金を引き出すこともあり得る」と指針を発表。家族の無権代理を限定的に認めた。しかし、指針に対する対応は銀行個々の判断にゆだねられ、「認知症になっても家族ならお金を引出せる」といった状況が実現したわけではない。
これについては私も重要な論評を書いているので、ぜひお読みいただきたい。
★「認知症高齢者の預金 代理引き出しOK」うのみは危険!! その先にあるのは成年後見!?
★認知症患者の預金、家族の引き出しOKは本当か!? 全銀協指針、本音は成年後見だ!!
銀行が個別に対応すれば済む話ではないか。
銀行は自分で決められる。
現に、成年後見制度ができる以前は、(どこにも丸投げする場がないから)銀行はその都度、個別に判断していた。
銀行独自の決定は、もちろん幾分のリスクを伴う。
しかし、それを負いたくないからリスクは全部お客さまに、では金融機関の名が泣く。
心ある銀行よ、成年後見に無責任に”たらい回し”するな、なんとか独自性を発揮してほしい!
今の金融機関が、「成年後見人は便利なワンポイントリリーフ」と勘違いしている、ということはないと思う。
預金凍結が各種メディアで問題視されるようになった今も、そのような勘違いが続いているなら、銀行はこの市場に存在する意義がない。
これ以上銀行は、大事なお客さまを「ミスリード」しないでもらいたい。
実は先日、「窓口」でこんな光景を見た。
『この人、認知症?』と見えた高齢婦人の引き出し依頼を、ベテラン行員がていねいに声を掛けながら、手続きをしていたのだ。
後ろの役席者を振り返らず、自分の責任で淡々と処理したように見えた。
『男前だねぇ、この人』窓口にいたのは女性だが、私は感嘆した!
時と場合によるであろう。
正義は「法令順守」であり(認知症の)疑いあれば口座凍結、が正解であることも、誤りであることもある。
しかしこういう行員がいないと、高齢者は生きていけないのではないか。
その日、私はスカッとした気分だった。
銀行の役席上位者は、成年後見をワンポイントリリーフのように使える、と思っているのかもしれない。
しかしその認識は違う。
成年後見人はゲームセットまで交代なしの超ロングリリーフ。
「恒久的な準強制的な代理」というのがこの制度の本質だ。
お客さまにとっては最悪な制度であるが、「銀行の安全」を考えれば、銀行にとっては好都合ではある。
<認知症患者に預金の払い出しを許せば、他の家族から銀行自身が批判を受ける恐れがある。
裁判沙汰に巻き込まれるくらいなら「成年後見制度を使ってもらった方が(当行に)障りが出ない>
と役関上位者は判断する。
だから「お客さまにはそのように(後見制度を使えと)言いなさい」と、マニュアル化させて下におろす。
しかし、「成年後見人」とはどのような存在か。
成年後見人のみが「意思能力を欠いた本人(成年被後見人)」の代わりになれる理由は、➀本人の財産を守るため、➁本人の身上保護(入退院や施設入所の手続き)をするため、に民法で規定した代理人だからだ。
”本人のためにする”ということが大前提になっている。
成年後見人が本人の預金を(本人に代わって)引き出す行為は、決して「家族に頼まれたからやってやる」などという次元のものではない。
本人の療養費に充てる等の、本人を守る理由があるからこそできることなのだ。
この点、金融機関は”単純な本人の代理”、まさに銀行や生保が自ら判断するというリスクから守ってくれる”(銀行にとっての)便利な代理人”として使っていることとは真逆である。
法律が認めた「公的な代理人」である成年後見人を、一銀行、一生保のリスク回避のために使われたら、お客さまはたまったものではない。
現状の成年後見の使われ方は、法の精神が著しく曲げられた異常事態である。
以上、認知症の人がいる家族にではなく、制度運用者や金融機関批判に行数を使いすぎてしまった。
ここからは成年後見制度を使うかどうか考えている人のために、警告を発したい。
◇
成年後見人は、銀行や家族のために本人を代理して預金をおろしているわけではない。
だから引き出した現金を家族にホイホイ渡し自由に使わせる、などということは絶対にない!
本人の療養費に充てるのが目的で預金をおろしたなら、家族に触れさせることなく、施設側の通帳に振り込む手続きをする。
その時、家族の存在は考慮されない。
相談もしないし、報告もしない。
職業後見人は裁量で財産管理を行う。
財産とは、▼預貯金通帳▼保険証書▼有価証券▼不動産の権利証(登記識別情報)▼実印・銀行印▼印鑑登録カード▼年金関係書類▼重要な契約書類──などなど。
本人に係る一切の財産、または大事なものはすべて成年後見人に預けられ、管理されることになる。
家族には「本人の財産が今どれくらいあり、それをどうしたか」なんて、いちいち知らせない。
家族がなぜ成年後見制度に不信感をもつのか、は以下を列挙すれば想像がつくだろう。
➀ワンポイントリリーフどころか、成年後見の事務は本人が亡くなるまで続く。
※<本人の事理弁識能力が回復した場合>というのも終了事由だが、回復することはまずない。
➁「(お金の)用が済んだからお引き取り願う」などということはできない。
③家族の言いなりにならないから解任する、というわがままも通じない。
④成年後見人のバックには家庭裁判所が控え、本人が不利益にならないよう目を光らせているからだ。
【注】<③について> 後見人を解任できるのは、本人の財産を使い込む等明らかな不正をした時だけだ。しかし「やっと解任できた。ついに成年後見と縁切りだ」とはならない。別の後見人が付けられるだけである。
今でも多くの人が「成年後見人には家族が就任できる」と思っている。
それは誤解だ。
現在も、成年後見制度の運用はそのようになってはいない!
最新の令和4年最高裁統計では、配偶者や息子・娘などの親族が後見人になったのは19.1%。
弁護士・司法書士・社会福祉士などの職業後見人等が就任したのが80.9%だった。
法定後見が誕生した当時の平成12年の統計では90.9%が親族後見人だったから、完全に様変わり。
親族ではなく職業後見人に、という流れは“後見人の不正”がことさら強調されて以来、一貫して強まってきた。
その偏狭な制度運用は、最高裁判所民事総局が牛耳っているので、今後も続くだろうと思われた。
ところがこの2019年4月、最高裁が一転して「後見人は親族が望ましい」と言い出した。
職業後見人のあまりの跋扈(ばっこ)に、世間でもようやく「何か変だ」という声が上がってきたからだ。
しかし私には、最高裁の豹変は、付け焼刃の“なまくら判断”にしか思えない。
案の定、豹変直後から「最高裁と弁護士会、司法書士会とは、『今後は後見監督人を増やす。それを士業に回す』ことで折り合いはついている」という声が漏れてきた。
家族や親族の後見人が今後、増えたとしても、後見監督人が付けば報酬は発生するし、お金の沙汰以上に“上から目線で財産管理の一挙手一投足が監視される”としたら、家族は今以上に傷つくだけである。
※令和4年現在、親族後見人比率は何度も書いたように19.1%。その理由はコチラ▼▼▼に書いた。
士業後見人、士業監督人がつけば当然、「報酬」が発生する。
後見人の報酬については、家庭裁判所が発行する資料の中にはほとんど載っていない。
ただ、東京家庭裁判所立川支部が「成年後見人等の報酬額のめやす」という文書を平成25年1月に公表しているので、その数字を紹介しよう。
月額換算、2万円-6万円、さらに後見監督人が介在すればその分の報酬(1万円-3万円)も上乗せされる、というわけである。
またこの文書にはこんな説明もある。
成年後見人等の後見等事務において,身上監護等に特別困難な事情があった場合に
は,上記基本報酬額の50パーセントの範囲内で相当額の報酬を付加するものとします。
被後見人は70歳-80歳代が多いとはいえ、平均余命は10年を超す。
その間、成年後見人の報酬は年間24万円-72万円だから、後見期間を通しての報酬額は数百万円から1千万円を超えるだろう。
※【参考】成年後見の生涯報酬を試算、家族信託と比較した記事(2018/2/4)
余計なことをあえてていねいに説明したのは、金融機関の窓口等で
「それでは成年後見人を付けてください」
と言われて、「わかりました。成年後見人を付ければ(預金や保険金を)下ろしてもらえるんですね」と家庭裁判所に駆け込むほど気楽な制度ではないことを、認知症の家族の問題で悩む人にぜひとも知ってほしかったからだ。
さらには、ふだん「認知症や病気や事故で判断能力・意思能力が欠ける状態になったら、成年後見制度を使ってください」と言っている”この問題の最前線”にいる金融機関や介護・療養に携わる人たちに知ってもらいたい。
以前私は、「成年後見人等は“1円の単位”まで目を配って被後見人の財産を管理しているから、報酬は一概に高いとは言い切れない」と書いていた。
私が甘かった! 前言は完全に撤回する。
財産管理の帳尻合わせだけで月額5万円も6万円も報酬を得ているのだ、1円単位で神経を使うのは当然である。
(銀行は毎日そうしている!!)。
後見される人への思いやりや、仕えるという気持ちがあるなら、報酬が高くても我慢できるかもしれない。
ところが士業後見人の多くは「してやっている」という態度であり、本人に接触することもない。
数百万円の報酬が保障されるされている仕事にしては、粗雑であり、かつまた無関心で、心が通っていない。
後見人らは、足しげくなど被後見人のもとを訪れない。
そもそも施設に通いもしないのだから、身上監護が「非常に困難で、負担感が大きい」という場合はマレなはずである。
被後見人の多くは介護施設に入れられてしまう。
あとはすべて施設頼みで、後見人は見守る必要がない。
“成年後見”とは名ばかりで、後見される本人は、後見人からほぼ忘れられ見捨てられている。
報酬計上のため施設に年に1回、渋々顔を見せるような後見人も、家庭裁判所からとがめられたとは聞かない。
(被後見人に1度も会わなくても後見できるとするなら、この制度は何なんだ!)
たまの施設訪問がタクシーで乗り付け、その費用を1円単位で請求するのが「大変だ」というなら、世の中のサービス業の誰もが「大変の極みですよ」ということになる。
この後見制度、家族からは成年後見人が何をしてくれているのか(していないのか)、さっぱり知ることができない。
後見人は原則として、後見業務の内容を本人の家族に報告する義務は課されていない。
家庭裁判所からはむしろ職業後見人に対し、「いちいち家族に報告するのは好ましくない」と”指導”を受けるほどだ。
家裁は「家族(の一部)から後見人が影響を受けること」を忌み嫌っている。
だから家族は、いったん後見人等を付けてしまえば、この者たちの行動をチェックしようにもチェックの方法がない、ということになる。
【筆者の感想】
「家族は悪さをする存在」という固定観念が司法側にはあるようだ。
この“雑念”こそが、国の制度である「成年後見」をかくも受け入れにくくさせている元凶ではないか。
私の元には何件も、成年被後見人の家族から”後見人の横暴・独善”を訴える声が届いている。
さらには家裁への非難もやまない。
「家裁はなんのチェックもしてくれない」
「家裁は、家族が何を質問しても抗議しても、まともな回答をしない」
家族に「問答無用の門前払いであしらわれてる」と思わせるなら、、この制度は終わっているというほかない。
こういう実態を家族のほとんどは知らない。家族は孤立しているから。
もし実態を知れば、「預金をしてもらうためのワンポイントリリーフ」のつもりで成年後見人を付けてしまった家族は、「生涯の痛恨事だ!」と自分を責めるだろう。悔やみきれない痛恨事だが、解消できない袋小路に閉じ込められている。
以下、成年後見制度についての私の意見を述べたい────
法定後見制度の使い方が、本来の使い方、あるべき姿とだいぶずれている。
本人の家族たちが、▼「通帳を解約したい・預金をおろしたい」といったり、▼「死亡保険金を受け取りたい」というのも、ましてや▼「(本人のために)介護保険制度を使いたい」ということを、「それは家族の欲のためであって本人のためではない」と言えるだろうか。
金融機関が、あるいは家庭裁判所が、《家族は本人の金を流用しかねない、だからあえて成年後見人を付け家族が干渉できないようにする》ために「この後見制度を推奨している」というなら、それは大きなお世話であろう。
”家族の自治”が信じられないなら、そもそもこの制度は成り立たなかったはずだ。
法定後見制度が成立した当時、後見人の9割までが「家族」であったのだから。
間違いなく立法者も、司法関係者も「後見人」としては家族を当てにしていた。
つまり”家族の自治”を頼りにしていたはずである。
しかし今は、「家族は本人の金をかすめ取ろうとする悪いやつ」と家族を”仮想敵”のように思い込んでいる。
成年後見制度には、もう一つ、家族にとっては我慢ならない「不都合」がある。
財産管理を成年後見人に頼むと、家族の身上保護権までが奪われる、という不都合である。
信じられないだろう? でも、事実だ。
※【身上保護とは】要介護認定の手続きをしたり、施設への入退所、病院の入退院などの手続きをすること。
わかりやすくなるように、例をあげて話そう。
私の両親は、母も父も最晩年は「要介護度5だった」。
母の意識は数年前から失われていたが、父は脳梗塞で話せなくなったものの意思能力はあった。
入院する際、父は筆談で私に「通帳の暗証番号」を教えてくれた。
「こ・れ・つ・か・え」
それで私は、介護費用として父の通帳から施設に自動引き落としができるようにした。
両親がこういう状態になるとは、10年前には想像もできなかった。
しかし、想像できないことが、現実になる。
私はまったく不用意だった。
今でこそ人に相続対策などをすすめているが、自分の家族のことはなんの準備もしていなかった。
両親が80歳を過ぎてから、ガタガタガタッと来た。
何か対策できそうだったのに、親の病気に対処するのに精いっぱいで、何もできなかった。
8年前に母が倒れたとき以来、その費用は父が払ってきた。
今度もまた、ギリギリのところで父に助けられた。
両親ふたりともが寝たきりになったが、幸いわが家は、成年後見とは無縁でいられた。
病院も施設も、すべて私を療養看護の“司令塔”として、判断を仰いできたからだ。
私が家族の柱だから、当然だと思っていたが………。
これからの日本は、私のようにのんきに無策でいられないかもしれない。
もし私の情況であなたが施設から、
「(お父さんには)意思能力がないんですか? それなら入所の手続きには成年後見人を付けてください」
などと言われたら、どうするだろうか。
激怒して当然だ、と私は思う。
「何が成年後見、何が家庭裁判所だ!!」
しかし普通の人がそんなこと、言いっこない。そもそも成年後見という制度が、ここまで書いてきたような不都合を生み出しているなんて、微塵も知らないのだから。私はたまさか、成年後見制度に関心を持ちよく調べたから「家族として」怒ることができるだけだ。
「一緒に暮らしてきた家族以上に親を心配し、公明正大に親の財産を管理し、その心身の状況を観察して<次に何をすべきか>を判断できる者などいない」と。
成年後見制度なんかに頼ったら、親を身上保護する権利さえ奪われる、と知っているから腹立つ気持ちをぶつけられるのだ。
財産管理のために成年後見をやむなく使うと、身上保護権まで奪われかねないというのは、成年後見制度の大問題である。
なぜわが家の事例をあげて、金銭とは関係のないこんなことを突然、話したのかというと───
私は今、嫌な空気を感じ取っているからだ。
今までは主に「金銭に関する動機」で、善良な家族までが成年後見制度に絡めとられてきた。
それでもこの制度の利用者は、当初この制度を立案した者たちの机上計算した人数には達していない。
「それでは──」と、今度は施設への締め付けが始まっているように感じられるのだ。
繰り返して言う。
なぜ施設入所や入退院の手続きが家族ではだめなのか!
例えば、手術するしないは、本人しか決められないことである。
だから成年後見人でも、手術の可否は判断できない。(判断してはならないのだ! )
(成年後見人には、予防注射、手術などの同意権はない。まして延命治療云々に口出しする権限もない!)
しかし医療側は「手術への同意」を家族、または成年後見人に求める。
家族も「延命」云々に口出しできないのは、成年後見人と同様である。
しかし、医師は必ず家族に聞く、「どうしますか?」と。
医師も人間、誰かに最終判断を預けたい。
(最終責任なんか取りたくないよ、と言ってるみたいだ)
だから家族は、覚悟を決めて医師に諾否を伝える。
権限はなくても、親を見守ってきた者として、自分の思いのありったけを込めて“答え”を出す。
自分が出した答えが親の望んでいたことかと迷い、煩悶しつつ、全責任をかぶる覚悟で伝えるのだ!
背景も家族の歴史も何もない職業成年後見人ごときが、そういう覚悟を背負い込む度胸があるとは到底思えない。
しかしあなたが、親の財産を動かしたいばかりに成年後見を使えばどうなるか?
身上保護まで成年後見人の仕事とされ、親の医療に口出しができなくなる。
私は父の病の時には、2度、3度と医師に「延命するか否か」と尋ねられた。
私は父の思いを知っていたから、「治療継続」をお願いし続けた。
この判断を、他人の成年後見人ごときがするなぞ、考えられない。
大事な家族の命を、他人に握られるなんてことは断じて「是」としない。
以上は医療に関してだが、厚労省は介護などについて「成年後見活用」をごり押ししかねないような空気を感じる。
厚労省が施設に迫れば、施設は手もなく家族に「後見人を付けてください」と迫るだろう。
バカ正直に、「家族の身上保護権返上」のお先棒担ぎをされたら、家族はたまらない。
しかし通達ひとつで、どう転がるかわからない。
成年後見という制度には、そういう怖さもあるのだ。
だから私たちは、親の財産管理のためにどうしてもこの制度を使わざるを得なかったとしても、本人を今まで見守ってきた家族は、身上保護をする成年後見人の地位だけは、他人に奪われてはならない。
家庭裁判所のヒヤリングは必ずあるはずだから、「身上保護は家族が行う」と言い続けてほしい
そうでもしないと、職業後見人の都合で、あなたの大切な家族が、本人の望まない施設に入れられてしまう恐れがある。
幸い静岡あたりでは、判断能力が衰えた家族の介護や医療のシーンで、「成年後見」を持ち出す施設も、病院もあまりない。
家族がいるのに成年後見人の方を信用したり、行政の指示を金科玉条として、契約から家族を締め出すような者たちは(今のところ)少ない。
しかしこのまま行けば、この静岡県でも、そんなことを言い出しかねないような”空気”を感じるのだ。
杓子定規に法や省庁の通達を施設に示せば、施設は緊張してこれをうのみにするだろう。
上が方針転換すれば、施設はそのままその方針を家族に伝え、善良な家族は大いに困惑することになる。
介護施設などは県の指定・許可がなければ開業できないので、「成年後見制度普及」のために厚労省や行政などが「使え、使え」と言い始めれば、家族の都合は差し置かれ、「成年後見人を付けてください」と言い出しかねない。
たいていの人は記憶にないと思うが(メディアに報じられることもなかったから)2016年5月、「成年後見制度の利用の促進に関する法律」が施行された!
元から使いにくい上に、法律バカたちがガチガチ運用をますますキツクして心底利用しにくくした成年後見制度を、国は「利用促進させよう」というのである。
お上に弱い施設たちは、言われれば今までの対応をがらりと変え「これからは成年後見人を付けてください」と言い始めるかもしれない。
まことに憂慮に堪えない。
この法律を作った国会議員たちは、介護や医療現場の現実をいかほど知っているだろうか。
そんなことを思うので、この記事がどんどん長くなってしまう……。
◇成年後見制度でできないこと
これも公的後見に対する重大な誤解なので、繰り返しの指摘をお許しいただきたい。
「医療行為」に成年後見人が同意することはできない!!
医療行為とは、歯科治療やインフルエンザの予防注射など簡単なことから、手術や延命措置などまで広範囲に及ぶが、本人に対する医療侵襲行為に対する判断は本人固有のものであり、代理権等の及ぶものではない。 (一般社団法人コスモス成年後見サポートセンター)
成年後見人なら、手術の可否や本人の延命についても判断できる、というのは大間違いだ。
財産管理面の公的代理に過ぎない後見人に、命のことまで本人に代わり得る、わけがない!!
”本人固有の権利”と言われれば、家族であっても判断はできないのだ。
家族と昨日今日成年後見人になった者とでは、本人との交流の歴史が違う。
だから医療側は、本人に意思能力がない場合、家族に「どうしますか?」と聞くわけだ。
しかし現代は、家族が身近にいない場合も少なくない時代だ。
その場合は、医療側の多くが成年後見人に許諾を求める。
成年後見人は、ゼッタイに判断してはならない(これは絶対的な原則だ!)。
家族はおらず、成年後見人も判断してくれない。
ではそんな場合医療側はどうすべきなのか?
医の倫理に従って、あるいは医師としての信念において対応するのみだ。
(お医者さまにくれぐれもいっておく。決断はあなたの責任において行う。それが医師というもの。判断することをビビってはならない)
職業成年後見人にも言っておかなければならない。
職業成年後見人の中には、医療側に迎合して「(被後見人は)高齢だから(命を維持するための措置は)まぁ、やらなくても仕方ないね」などと答えてしまう者がいる。
それはダメだ !!! 命はそんなに軽くない。
あなたにそれを判断する権限は与えられていない。
もし延命措置不要を言い出す後見人がいれば、その者は即刻、解任の対象となる。
その者は、人として、重責を担う資格がない。
この話を援用すると、先ほど赤色の文字で示した介護施設の言い分がひどく的外れであることがお分かりいただけると思う。
施設に入居したいかしたくないかは本人の一身専属的な問題なのだ。
しかし本人に意思能力はない。
施設としては誰かと、本人に代わってくれる誰かと、契約を結びたい。
その場合の契約相手が、身近にいる家族より成年後見人の方がふさわしいというのは法律バカらしい解釈というほかないが、先ほど書いたように「促進法」の施行で施設側は「成年後見人に」と豹変しかねない。
しかし「促進法」が何と言おうと、こういう現実があるのだ。
家族も成年後見人も本人専属の事項は代理できない。
できないことを無理やりやる場合、「成年後見人なら(民法に則る限り)大丈夫」と思い込むのは勝手だが、現実を少し深く掘り下げれば、そんなものは机上の空論に過ぎないことはすぐにわかるはずだ。
考えても見よ!
成年後見人が「よろしい」と言って施設に入ったときに、本人に不測の事態が起き死亡したら、成年後見人は責任を取るのか。
後見人の後ろ盾になっている家庭裁判所は後見人の判断を追認したことに対する責任を負ってくれるか。
100%、そんなことにはならないだろう。
「その時点での入所させる判断は正しかった」と言われるだけのことである。
だから家族に代わって成年後見人に判断させるような、このような運用は、あってはならない。
もうひとつ、金融機関の窓口での対応についても(繰り返しになって恐縮だが)、どうしても言っておきたい。
父親の通帳と印鑑を家族が預かっている場合のこと。
父親の認知症が誰から見ても明らかになると、銀行で預金を下ろしたり預金を解約するのは難しくなる。
あるいは生命保険。
父親が死亡し母親が死亡保険金の受取人になっていた場合、母が著しく意思能力を喪失していると、家族の誰かが母に代わって受取請求をすることになるだろう。
その場合に窓口で、「成年後見人を付けてください」と言われれば、『そんなものか』と、うかつな家族は後見の審判を申立てる気になるかもしれない。
なにしろ大金の収受がかかっているのだから。
申立ての相談があると、すべての家庭裁判所で、ていねいに成年後見の制度について説明してくれなければならない。
▼本人を守るための制度であること、▼申立てしたら取り消せないこと、▼必ずしも家族が成年後見人になれないこと、▼家族が後見人になったとしても主な財産は信託銀行に預けられることになり後見人の自由裁量でお金の出し入れができるわけではないこと(1回ごとに家裁に上申書を提出して許可を求めることになる)──などなど。
最低限、このくらいの説明をする義務がある(はずだ)。
(はずだ)とカッコ書きにした理由は、先ほど書いたように、私が家庭裁判所の説明を聞きたくて調査官と思しき係の人に説明を求めたところ、彼の態度はまことにそっけなかった。言葉少なく「これが(成年後見の)パンフレット。別室でビデオを見てください」とそれだけ。
そのビデオたるや成年後見制度の本質とはまったく関係のない「後見支援信託」であった、というのは先ほど書いた通り。
鼻であしらわれたというより、一般人に対して裁判所の職員は総じてこういう態度なんだろうな、と私は感じた。
それがこの制度について、徹底的に調べてやろう、と私に思わせた動機かもしれない。
【注】 結果として私はこの記事で、諸々「成年後見という制度の使いにくさ」を書き、制度運用面の不備を書くようになった。机上でこの制度のことを考えたのではない。主張の多くが、自分の体験を通して得たものである。
私の体験は例外的なもので、ふつうは家庭裁判所がていねいな説明をしてくれるものとしよう。
その場合に起こりそうなシーンはこのようなものではないか。
後見開始を申立てる気になっている人は、定期預金を解約させたい、保険金を受け取りたいということで気持ちが固まっているであろう。
また普通の人が、裁判所で成年後見制度についてあらためて説明を受けても、本当のところ、イメージがわきにくいのではないか。
まさかそれほど使いにくい制度であるとは思っていないまま聞かされるので、その重要さ(というより「不都合さ」)にはなかなか気づきにくい。
その結果、通帳からお金を引き出したい、保険金を受け取りたいというだけのことで、成年後見の申し立てをしてしまう人が年間4万人に迫る結果となる。
裁判所が十分に説明を尽くしたとすれば、ふつうの人が成年後見制度を利用することになる一連のプロセスを「不正義だ、だまし討ちみたいだ」、と騒ぐ私の方が「どうかしている」ように見えるかもしれない。
この辺で、私が考える「後見制度」をお話しした方がいいかもしれない。
「お金のことでつまづいたから成年後見制度を使う」のではまずいと思う。
認知症などでお金の管理ができなくなる人は、一定程度というか、今では相当数いると思う。
そういう人には、誰かしっかりしたお金の管理者が必要になるだろう。
その役目、ふつうは家族が担うだろう。しかし今は核家族中心。
その「核」でさえ子が大人になれば別世帯となり離れていく。
よって夫婦2人の世帯が増え、老後単身世帯が激増し、今やその層が高齢者の6割を占める。
家族の支援を受けられない人が出てくる。
夫婦でそれを行なえば老老後見となる。
子がいても、不実であれば老後資金は託せない。
障害をもつ子の親亡きあとの問題も、課題としては大きい。
このような場合に、成年後見制度は大きな役割を担うと思う。
唯一無比の絶対的に必要な制度になる。
こういう状況に対し、お金についてのつまづきについては、確かに後見人的存在は必要だ。
金融機関は信用できる誰かに代理してもらいたいと思っている。
その思いに対し、答えを出してあげる必要は大いにある。
その場合の公的後見人は“ワンポイント後見人”で十分だと思う。
本人と家族の関係をよく観察し、家族が信頼できそうなら、家族に後見職とは何かを教えてあげて、後は家族に任せればいい。
ワンポイント後見人の役割はかなり重いので、それに見合う報酬を与えればいい。
私が今の後見制度に「不正義」感を強く持つのは、不意打ちのようであり、なくては困る状況に追い込まれた者を制度の本質をあまねく周知させることなく制度に誘い、使い始めたら最後「後見=うしろだて」だからといつまでも利用し続けさせる仕組みになっているからである。
市民後見人は50時間もの研修を受ける。
家族も、いきなり“失格”と決めつけ法律専門職に変わらせるのでなく、しっかり勉強してもらえばいいではないか。
十分に“使える存在”だと思う。
後見人は、家族に回帰させることこそ正義ではないか。
「家族」「家族」といっても(後見を学ばせたとしても)悪さをする家族はいるのではないか、という人がいるかもしれない。
「悪い家族」は本人の意思能力・判断能力がないことをいいことに、本人のお金を勝手に使うために通帳から金を引き出したり、大金である保険金を受け取ろうとする者。
そういう悪い家族がいることを私だって否定はしない。
しかし法定後見制度は、入り口でこのような悪い家族の思惑を砕くためにあるのだろうか?
そうではなく、本人の身上監護をする、本人の財産を守る、そしてなにより、本人の残存能力を尊重し本人らしく生きてもらうためにこそ、この制度はあったはずだ(少なくとも2000年の民法改正当時は、そのような理想を掲げてスタートした)。
この制度は元々、後見開始を申し立てる家族に強い覚悟がなければ成り立たない制度である。
本人を守るために家族ができることは何か、どうしても成年後見人に頼らなければならないとしたらどんなことを頼むのか、よくよく熟慮して申立てをすべき制度なのである。
今お金が必要だからと、”便利な代理人”のつもりで成年後見人を使えるような制度ではない。
一方、金融機関にも注文を付けたい。
金融機関は人から大事なお金を預かっている。
こういう時代だから預けた本人が意思能力を失くしてしまうことは普通にあることだ。
つまり、十二分に予見できることである。
その時の対応を法定後見制度に丸投げするというなら、「銀行の自治はどこに行った!!」と言いたい。
それでは金融機関の役割を果たしていない、お客さまに寄り添っていない。
自行の安全のために法定後見という「制度」を借りて、厄介な自己判断を逃げてはいけない。
お客様に事情を聴いて、ひとつひとつていねいに銀行自身が解決策を見出すべきだ!
それほど難しいことではない。
成年後見人が通帳から金を下ろしたときにその金をどのようにするかを書いたこの文章を思い出してほしい。
<本人の療養費に充てるのが目的で預金をおろしたなら、家族に触れさせることなく、施設側の通帳にそのまま振り込む。>
私が銀行に言いたいことの「答え」はここに書かれている。
なにも成年後見人に頼らなくても、この案件を受けた金融機関はお客さまに個別に事情や本人の常況を聴取して、金の使途に納得がいったら上記< >内の文章のように対応すればいいだけであろう。
それが“まっとうな銀行”のやるべきことだと思う。
でなければ認知症患者の凍結資産は膨れ上がるばかりである。
(2030年には認知症の人の凍結資産が210兆円になるという試算もある)
生命保険についても同じことが言える。
私が調べた限りでは、死亡保険金の金額が1000万円以下の場合、受取人が意思能力を失っていたとしても受取人の口座に入金することを条件に、受取人の親族による請求を認めている。
「1000万円まで」の基準の根拠がどこから来ているのか特定はできなかったが、ここまでの柔軟性が保険会社にあるのなら、「1000万円以上」についても個別に対応する方法はあるはずだ。
現在の成年後見制度は利用する側に大きな負担を負わせる制度である。
金融機関のリスク回避のために法定後見制度に個々のケースを丸投げして、家族に思わぬ負荷をかけることは許されない。
家族が認知症となり困惑の日々を送っている人は、私が書いたこの文章を何度でも読み返してほしい。
そして銀行に言われたから、保険会社に言われたからと家庭裁判所に駆け込まないで!!
ひとり決めは禁物だ。
相続のことや認知症の問題、成年後見制度についてよく知っている専門家に必ず相談してほしい。
さらに付け加えるなら、認知症の傾向が見られたすぐに「対策」を考えた方がいい。
初期症状は必ず現れる。
アルツハイマー型の認知症は今のところ完全治癒は難しいものの、進行を遅らせることは可能だ。
そしてこの段階ならまだ、認知症に伴って起こるであろういろいろな問題について、手を打つことができる。
認知症が完全に進んでしまった場合、確かに本人を代理できるのは成年後見人に限られてしまう。
しかし認知症の人がいる家族でも、成年後見人を付けずに本人の生をまっとうさせた家族はいくらでもある。
(むしろそういう家族が大半である)
その一方、本人の認知症をいいことに本人の財産を勝手に使う”老人虐待”を行う家族も少なくない。
しかしあなたが公明正大な人なら、後見制度を使わずに本人の終末期を支えることは可能だ。
ただし、本人が会社の経営者であったり、マンション・アパートのオーナーであったり、何か重要な契約の当事者になる人の場合、家族では本人を代理できない。
では成年後見人を頼むのか?
違う! 成年後見人が代理できる範囲もまた、限られている。
どんなことでも本人の代理ができるわけではないのだ。
考えてもみてほしい。
本人が進めている重要なプロジェクト。
いくつも契約しなければならないことが残っている。
例えば銀行からの借り入れ、成否を握る製品の形状・材質・デザインの決定。
本人の意思こそがプロジェクト進行のカギを握っている。
そんな場合に成年後見人が代打のように登場し、たった1つでも、重要な判断事項を決済することなど、できるだろうか。
成年後見人のその決定を、家庭裁判所は勇気をもって認めることができるのか⁈
法律家では100%無理である。
事業は「法律を知っていること」とは違う。
かくしてそのプロジェクトは?
本人の認知症深刻化により後見の審判を申し立てた瞬間にプロジェクトは凍結されてしまう。
こんなことまで成年後見人はやってくれる、と思っているわけではないにしても、何となく「なんでもやってくれる切り札が成年後見人」のように思っている人が多い。
だから「いざとなったら頼めばいい」と安易に期待するのだが、現実には成年後見人でもできないことの方が多く、事態が凍結状態になって初めて『こんなはずでは……』とほぞをかむことになる。
だから重大事項を抱えている人(や家族)は、事前に成年後見制度を研究し「限界」を知っておかなければダメだ。
成年後見人にはできないことがいくつもあるというより、現実には、後見人は単純な金銭の出し入れ(それも家庭裁判所の監視付きで)程度しかできない、と思っていた方が事実に近い。
認知症対策の切り札だと多くの人が思っている成年後見制度の限界を私はとうとうと述べてきた。
では、どうしろというのか⁈
認知症問題を切実に感じている人なら、問いたくなるだろう。
私の答えは「信託という方法がありますよ」である。
法定後見制度は、民法で規定している「代理」という法理に基づいている。
その元にあるのは「本人の意思能力」だ。
「誰々に私の代理をしてもらう」という本人の意思・判断能力がなければならない。
ない場合は「代理」自体が成り立たない。
で、本人が意思能力を喪失した場合───
もう「代理」はあり得ないのだ、としたら多くの問題が行き詰まってしまう。
そこで「第三者への代理権を公に認めるため」に法定後見制度が”新設”された。
法定とはいえ、何でも代理できると権限が大きくなりすぎ権利関係を複雑化しかねないので、できることは大幅に制限した。
いや、契約事項は星の数ほどもあり、判断基準もひな形をつくるような簡単なものではないので、(いくら法律知識があっても)本人でない者には代理は(原則的に)不可能なのだ。
これに対し、民事信託は平成19年9月に新信託法を施行。
「代理」の法理ではなく、財産の「名義」を変えるという方法で、本人の財産を託された者(受託者)に本人と同様の”所有している財産”について管理・処分権限を与える。
文章にすると非常に分かりにくいが、民法的な発想とは異なる法理で<不可能を可能にする>と思ってほしい。
(今後このブログで民事信託=家族信託について多くの記事を書くつもりだ)
この法律により、本人が意思能力をなくす以前に契約しておけば、本人の所有に関する権利の多くを受託者に委ね、本人が病気や認知症などによって意思能力を喪失した後でも、「信託の目的の範囲内で」受託者が本人に代わって「契約で決めた本人の意思」を実行できるようになった。
「信託」というと投資信託など投資商品の一部と思われがちだが(これを「商事信託」という)、民事信託は商事信託とはまったく違う。
例えば認知症が心配な父親を委託者に…………
イラストを見てもらった方が早そうだ。
お父さんの認知症が心配になってきた姉妹ふたりの提案で 信託契約が結ばれた例。
委託者はお父さん(まだ認知症ではない)
受託者 長女
受益者 父(この信託によって実質的な利益を得る人)
第2受益者 母(夫が亡くなったら受益権を引き継ぐ人)
受益者代理人 妹(父の認知症が進む過程で父の意向を受託者に要求する人)
信託の目的 父の認知症がひどくなったときには実家を売却し、その売却益で父と母を介護付き住居に住まわせる。
この信託を締結しても両親は今まで通り自宅に住み続けるだけ(委託者がそのまま利益を享受するので贈与税はかからない)。
受託者である長女も、当分は固定資産税を信託財産から払い込むだけだ。
父の認知症が看過できなくなったら、受託者は自宅売却のために奔走。
その益金で両親を新たな住まいに移ってもらう(夫婦そろって介護施設に移る、でもいい)。
父親がやがて亡くなったとしても信託は終了せず、母は受益権を引き継ぐ(税務的にはここで相続税が発生)。
母が亡くなったら信託は終了。
残った財産は「残余財産」として姉妹ふたりが受け取る(あらかじめ契約書に「残余財産帰属権利者」として姉妹の名を書いておく)。
◎「家族信託」について今すぐ知りたい方はコチラ↓
★成年後見より家族信託を使え! 認知症対策の切り札を解説
長くなったのでこれ以上、家族信託について書くことは控える。
このイラストのように、委託者、受託者、受益者という3人の当事者が「家族」である場合が多いため、このような民事信託を「家族信託」というようになった。
家族信託は成年後見制度と違い家庭裁判所が登場することがないので、(契約書という”シナリオ”に沿って)何をするかを当事者間で自由に決めることができる。
財産の所有名義を契約時点で「委託者」から「受託者」に換えるので、受託者は契約の当事者として(この場合は「実家」という不動産を)改修したり売ったりすることができるわけだ。
成年後見よりダンゼン自由度が高く応用が利くので、私も認知症対策の重要なツール(方法)として最近は、遺言・任意後見制度を使う方式から「家族信託契約」を採用する場面が多くなってきた。
家族信託の遺言代用機能は、本家本元の遺言より明らかに堅固で“撤回しない遺言”の役割を果たしてくれる。
考えてみれば、家族信託契約ができるときは、判断力から見て委託者が相続に向けてさまざまな対策をする“タイムリミット”(=最後の機会)と考えられる。
なので私は、家族信託の契約書を書くときには委託者の想いをよく聴き取り、信託と同時にできる限りの相続対策を行なうよう促している。
最後は「家族信託」のPRのようになってしまった。
言いたかったのは、「認知症→だから成年後見」という刷り込みは捨ててほしいということ。
➀多くの場合は成年後見制度に頼らなくてもなんとかなる(認知症家族の95%はそれで乗り切っている)。
②(定期預金の解約など、金融資産の一部については成年後見人でなければできないが)介護費用の収受、死亡保険金の受け取りなどは、工夫と(金融機関との)交渉次第では家族でもなんとかなる場合が多い。
③「親の様子がおかしい。認知症?」と家族が感じたときから「対策」を始めるべきである。
④預金が凍結された後では、家族信託はしたくてもできなくなる───
⑤認知症は必ず悪化するから、「最初のサイン=対策できる最終期限だ」と思ってほしい。
⑥家族で信託をするなら、同時に円満な相続が実現するよう、この機会をいかそう。
成年後見は専守防衛で手いっぱい。
家族信託は、家族の近未来を見据えて、できることは全部やっておくためのツール。
私は行政書士として「認知症と成年後見制度」について強い関心を持っている。
認知症の対策として「成年後見」がベストだとは到底思えず、「家族信託」の可能性に気づき、今はそちらにネルギーを注いでいる。
◎成年後見人に頼るのはイヤだ。任意後見か家族信託を使いたい。でもその違いがよく分からない―—という人がいます。そのような人はこちらの2つの記事をお読みください。
成年後見制度と家族信託の違いがよく分かってきます。
2019.07.26
任意後見か家族信託か、迷っている Q. 母親の物忘れが最近、目立ってきました。 ふつうに会話できますが、何か以前とは違う感じです。 今...
2020.04.29
「最近、父の様子がおかしいので、任意後見を使うか家族信託を使った方がいいのか迷っている」 という質問が、相変わらず多い。なぜ迷うのだろう、...
<初出2017/2/7 最終更新:2023/9/20>
あなたの家でお悩みの問題をお聴かせください。
成年後見制度に委ねるより、家族信託という手法を使う方が悩み解消につながるかもしれません。
家族信託は委託者と受託者の契約ですから、すべての事案でオーダーメイドの対策を講じることができます。
成年後見人は意思能力を失った本人の代理なので、将来へ向けての「対策」は一切できないのです。
家族信託なら財産管理から相続対策のことまで、契約の中に盛り込むことができます。
《このようにしたい》という想いがあれば、受託者に動いてもらえます。
実際にあなたはどのような問題を解決したいですか?
メールフォーム「ボタン」から相談したいことを、具体的にメールにお書きください。
石川秀樹が専門家としてご家族にとって最良の解決方法を考え、お答えします。
※異変に気づいたらすぐにご相談ください。相談は無料です。
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