★延命処置、始めたら本当に止められない!? もっと”出口”の話をしませんか?

エッセイ

人生終末期の「延命拒否」についてあらためて考えています。
1つ重要なことに気がつきました。
「延命拒否」というとき、私たちは「入り口」のことばかりにとらわれています。
しかし今、議論が必要なのは「延命の出口」をどうするか、ではないですか。
根本的な誤りは、ひとたび延命治療を始めれば、死ぬまでそれを続けなければならない、と思い込んでいることです。
その呪縛、もう解きましょう。
事前に、明確にあなたの意思を医療側に伝えておけば、延命処置の出口はあるんですから。

■なぜ9割がまでが「延命」拒否なのか!?

「延命」についての誤解が多いなあ、と感じたのは先日のNHK「あさイチ」(6/27)の特集でした。
よく取材されているバランスの良い内容でした。
しかし番組冒頭、「91.1%」という数字が飛び出し、私は驚愕しました。
日本では「延命治療」を望まない人が91.1%もいる!というのです。

 

この数字は”極端”です。
新聞社で記者・編集者を務めていた時代、私は世論調査に深くかかわっていたので、極端な結果が出たときは、必ずその数字を疑います。
質問に「誘導する」ような文言があったのではないか、調査の対象集団が何かに支配されていないか、と考えるのです。
(場の空気であるとか、社会的な風潮など何らかのバイアスがかかっている、と)

 

それで気づいたのが、一般の人の「延命治療」に関するイメージがひどく偏っている、ということです。
あなたは「延命治療」と聞いて、何を思い浮かべますか?
テレビドラマでよく出てくるのは、重篤な病の終末期に心停止すると、警告音が鳴り響き医師や看護師が駆けつけ、心臓マッサージをする、口を開けさせ気管に管を通す、あるいは気管切開して人工呼吸器を装着してチューブだらけにする。
高齢者の場合ですと、胃に穴を開けてチューブを通し、直接栄養剤を注入する胃瘻(いろう)を行う・・・・・。

 

前者のシーンを見ているとテレビに向かって、「静かに死なせあげればいいのに」と声掛けたくなります。
ようやく死にかけているときにAED(自動体外式除細動器)で「バーンッ!」とやられる。
心臓に正常なリズムを取り戻させるため「電気ショック」は必要かもしれない。
でも三途の川を渡りかけている私の舟が、突然大きくタテ揺れしたら、「いい加減にしろ!」と言うでしょう。
胃瘻も、高齢者に使うと「延命のための延命」と言う人がいて、肩身が狭い・・・・。

 

■気軽に「延命拒否」と言いなさんな

ことほど左様に、昨今の日本では「延命」という言葉、マイナスイメージが強い。
でも多くの人は、気管送管や人工呼吸器の装着、栄養補給のための胃瘻や、鼻からチューブなんて、あまり見たこともないはず。
それなのにこの一方的な不人気は、一体どうしたことでしょう。

 

想像して怖がっているだけ。観念だけの忌避なんじゃないかと、私は思います。
でなければ「延命拒否が90%強」だなどというバカげた数字、出てくるはずがない!
延命処置は、あなたを救ってくれるんですよ。
医療現場がミスをして、不必要な延命や、延命のための延命ばかりしていると思い込むのは危険です。

 

■エンディングノートが延命拒否を誘導!?

観念でだけなら、いくらでもそう思っていればいいでしょう。
しかし今は「終活」なんぞという、おかしなブームが起きている。
エンディングノートも至る所にある(目にした人、多いでしょ?)
そして大真面目に「終末期医療について」「延命について」などという項目を掲げている。

 

コクヨの「もしもの時に役立つノート」

コクヨの「もしもの時に役立つノート」47ページより

 

上のエンディングノートはコクヨ製で、「かなり出来が良いノート」だと思っているのですが、このページに限ってはまったくいただけない。
僕がブルーの網掛けした個所を読んでください。

延命処置(気管切開、人工呼吸器、心臓マッサージなど)を回復のみこみがない人に行うことについては、苦しい状態を引き延ばすだけという考え方もあります。
延命処置は、一度始めてしまうと途中でやめることが難しいため、
もしもの時に家族の負担が軽くなるように、よく考え、意思を伝えておきましょう。

 

典型的な”結論誘導の文章”です!
「苦しい状態を引き延ばすだけ」
「一度始めてしまうと途中でやめることが難しい」
「家族の負担が軽くなるように」・・・・・
こうまで畳み込まれると、「回復の見込みがないのであれば、延命処置はしないでほしい」という項目に「✔(チェック)」を入れたくなるでしょう!?
それであなたの命は一巻の終わりだ!!

 

延命」や「尊厳死」「事前指示書」に関する項目は、直接あなたの命にかかわるんですよ。
ムードや周りの空気(「延命のための延命を許していれば、医療費がどこまで膨れ上がるかわからない」などといった記事など)に流されて、正義感に駆られて(?)、あるいはよく考えもしないで安易に、「✔」を入れないでください。

 

■「延命」は急性期だけじゃないですよ

「あさイチ」が取り上げた「延命」というテーマは、がんや心疾患、脳血管障害と言った重篤な病の末期、死を目前にした緊急時に患者が選ぶ「延命拒否」に特化していました。
患者は拒否するけれども、残された家族の気持ちは簡単に割り切れないよ──と、そんな家族の心模様がていねいに描かれている。
その点は大いに多とします。

 

しかし一方、《これでは「延命」という極めて重いテーマが、重篤な病の終末期の問題に限定されてしまう。しかも遺される側の感情の問題にすり替えられてしまっている。まずいぞ》と、思ったのです。
まずいと思った理由は、「延命というテーマはもっとずっと幅が広く、かつ奥の深い問題だ」と思っているからです。
延命治療や処置の適用場面は「重篤な病の終末期」に限った話ではありません。
最低限、4つのシーンを考えるべきです!

 

延命処置を検討すべき4つの場面
  1. 事故や脳溢血などで突然危機が訪れる救命救急時
  2. 重篤な病で治療を受けているが、いよいよ終末が迫った時期
  3. 病の進行や症状の変化により口からの摂食ができなくなる中間期
  4. 老化や心身機能の全般的な低下により摂食が困難となる老年期

 

多くの場合、1~4の状況は錯綜して”混合状態”です。
延命」が必要な時期は、病がより深刻化した終末期や病が急変した時だけではありません。

 

■家族に「延命」の可否は選べない

90歳になる父が脳梗塞になり、医師からいきなり「延命処置」するかしないかを打診され困惑したことを、これまで2本のブログに書いてきました。
▼▼▼▼▼

 

重複になるのでここでは詳述しませんが、父は2度の生命の危機がありましたが、正味3か月半のリハビリにより、体からチューブは抜け、今は自分の手で口から摂食するまでに回復しています。(2016年秋頃)
一方母は、3年前から自力で食べられなくなり、鼻からチューブの経管栄養に切り替えられました。目は開かず、手足もまったく動かせません。意識はなく、呼びかけに反応もしません。

 

父の場合は医師から入院5日目にして経管栄養するかしないかを迫られ、母の場合は事後報告でした。
どちらの場合も、患者の家族である私は(当時は「高齢者の延命」に否定的であったにもかかわらず)、「処置をお断りするような選択肢はまったくなかった」と思っています。
人間として、それはできないんですよ。

 

父は少しもへこたれていなかったし、母は経管栄養になる直前まで介助者に手伝ってもらいながらも口から食べていたからです。
「来たよ」「また来るね」にはかろうじて反応を返してくれていました。
医師が(勝手に判断して)やった鼻からチューブの延命処置だから、「チューブを抜いてほしい」などとは、これっぽっちも思えませんでした。
想像だけで思っていた「延命拒否の意思」なんて、大きな現実の前では一瞬にして消し飛ぶものです。

 

■父と母、90歳のQOLに大きな差

冷たいことを言えば、
《要介護度5の老人にどんな明るい明日があるでしょう》
と、これはつい1か月前までの私の思いです。
しかし介護老人福祉施設(老健施設)に移った父は、今もリハビリに励んでいます。
聞き取りにくい声で「食事は・・・・向こう(リハビリ病院時代)の・・・・1.5倍(うまい)」と話します。
そう、父はこの間にチューブが外れ、口から食べられるまでに回復したのです。
右手脚は完全にマヒしているから、絶対に歩けはしないと思っていたのに、昨日見ると若い理学療法士に手を添えられながらも、動かないはずの右脚を前に送って歩く意思を見せていました。
人間はいつでも、いくつになっても前進するという希望がある。

 

一方母は、なんの改善もなくただ息をしているだけです。
生きている意味、生きている甲斐はどこにあるのでしょう。
母は「生」という牢獄につながれ、「死」を阻止されているようにさえ見えます。
自分なら耐えられません。

 

同じ90歳の両親です。
ふたりのQOL(生活の質)には大きな格差があります。
健康な人から見れば「父のQOL」と言ったところで、普通に生きている人の100分の1程度の”快適”かもしれませんが。

 

■私たちは「延命」をどうしますか?

父はなお、生きることを望んでいる。
歩けることに執念を燃やしています。
母はそんな考えは毛頭ないでしょう。
生きていることさえ認識できないでいるわけですから。

 

さて、ここから本題です。
私やあなたがいざとなったとき
(その「いざ」は自分で選べず、どんな「いざ」の形で私たちの前に現れるのか、想像もつきません)
「延命」をどうしますか

 

私が父であったなら、私も同じようにすると思います。
「今」を改善しようと思い、なお生きようとするでしょう。
さらに加えるなら、文字を理解でき、字を打ち込める限り、私は書き続けたいと思うでしょうね。

 

しかし母のような状態になったら?
わがままな私は、この世からおさらばしたいと思うでしょうが、実際にそうできるでしょうか。
できないはずです(意思喪失なんですから。さすがにこのことに成年後見人ごときが、口出しできませんからね)。
大事なのは、ココです!

 

冒頭、延命の「入り口」「出口」の話をしました。
でも私は今、「入り口の話は意味がない!」と思うんですよ。
延命拒否論者であった私が、両親の延命処置を拒否しようと思えば拒否できたのに、母の場合も、父の場合も「拒否する」とはこれっぽっちも考えませんでしたから。
本人以外、決められっこないんです。
だから「延命の出口」は、考え抜いた末、自分で決めておかなければならないんですよ。

 

■私は「事前指示書」を書きます!

「自分で決めておく」と威勢のいいことを書いてしまいましたが、実は簡単には決めようがない。
ところが、延命するかどうかの「入り口」で、「しない」と言い切る人がいます。
私と家内はその点、考えを異にしています。
彼女は「延命処置はしないで」といっています。

 

家内の意思は固く、自分を曲げませんから、僕のように軟弱な者は《潔ぎよすぎるぜ》と不満に思いますが、入り口で延命拒否をいう人は本当にたくさんいて、まあ説得は難しいでしょう。
しかし皆さんは、コクヨのエンディングノートの「延命しない」に「✔」を入れておかないよう、強くお願いします。
多くの人は今後、(特に男性は)「延命」を冷静に見つめ直す機会があれば判断を変える可能性が高い、と思いますので。

 

「延命を拒否したい人」が90%を超えていようと、実際に断固として拒否する人は少ないはずです。
確かに「母のように」なりたくないとは思います。
そのために私は「事前指示書」まで書いています。
実際に病気になって入院するときには、(そのときに意思能力があれば)医療側に指示書を見せて治療方針を決めてもらいます。

 

事前指示書の柱は、「どのような延命措置を講じていても、病から回復する可能性がなく、かつ私が外界に反応せず意識が平坦になった時には延命処置をとりやめ、皮下点滴に変えよ」です。
「私の事前指示書」は熟考してからあらためて書く予定)
▼▼▼▼▼ 2021年2月16日から掲載

 

■延命の「出口」の話、今ならできる

日本の刑法では、生きている人間から人工呼吸器を外す場合は、理由の如何を問わず医療側に「殺人罪」を適用しようとしてきました。
司法もそれに沿います。結果として医療現場は委縮し、「延命処置は一度施したら死ぬまで外せない」と思い込むようになりました。

いらぬ法のお節介でしたね。

 

一般の人たちも「胃瘻したら、もう点滴には戻せない」「命を短くする措置には切り替えられない」と信じるようになってしまった。
だから「胃瘻」に対する恐怖感が極端に強い。
長くこの施術をしていると、背中が丸くなるなどさまざまな身体的な変化が起こり、しかもすぐには亡くなりません。
この辺の情報が伝わって、「延命、中でも胃瘻や経管栄養法による栄養補給法」が”劇薬”ででもあるかのように、毛嫌いされるようになってしまいました。

 

しかしこの空気は、変わりつつあります。
2007年の厚生労働省のガイドラインも、多くの医療従事者と話し合ったうえで基本的に「患者本人の決定」に沿うというニュアンスを打ち出しています。
つまり、私のように「事前に延命の出口を決めておき」、かつ家族が医師に「お願いします」と言えば、延命中断は出来るのです。
延命の出口」という発想を持つということは、《延々と活かされ続けることは辞退する》という意味です。

 

意思能力を失ったらこの世からは”卒業”。
そんな患者の意思が認められる時代はもう来ています
いきなり「延命拒否」などと乱暴なことを言わずに、「救命処置」は多くの場合、してもらった方がいいんじゃないでしょうか
あなたに意思能力があるなら、いきなり命を投げ出すのはもったいない!

 

素人には(医師も詳しく説明しないので、その時してもらうのが)救命処置なのか延命処置なのか、正直いってわからない。
わからないから「とりあえず延命拒否」は、ありえないと思う。
一定の条件のもと「私がこのような状態になったときにはこの処置をやめて」と「出口の時期」に注文を付けることは可能
ならば処置は医師の判断に任せる。
その代わり、自分の意思は事前に書いて家族に伝えておく。
これが人生百歳時代に生きている私たちの心得なんじゃないでしょうか。
<初出 2016/7/2>

 

ヒント30px追記 母の病のことはずっと私の中に《悔い》として残っています。
7年間も、意識なく寝たきり。最後まで会話一つできずお別れさえできませんでした。
ところが最晩年、目を開けることもできないと思っていた母の両眼が開いたときがあったのです。
きれいな澄んだ、みずみずしい黒い目でした。(奇跡だ!と思いました)
2度と目を開くことはないし、まぶたの下の目はもう白く濁っているものと思っていたのに。
7年間、母は生きていた。(母には昼も夜もなく、時間が停止しているわけではなかった……)
人間は不思議ですね。頭で考えた結論なんて、いつでも事実によってひっくり返される。
ほどなくして、母を見送る日が訪れました。<2024/4/6>
 

■   □   ■

★PDF版『大事なこと、ノート』を作りました!

「延命は拒否する」と言うのは簡単ですが、命を投げ出す”予約”を健康な今のうちに自分で決めおくのがいいのでしょうか……。
老後は長いです。平穏に生きていることでさえ、実は容易ではない。
そんな自分が、いきなり死期や死後のあれこれについて注文つけるのは早計。
もっと考え尽くしてから、決めるべきかと思います。

一方、周囲の人が調べ直さなくて済むように、私の死後の煩雑な事務については、必要にして十分な個人情報を開示しておくべきでしょう。
なので、エンディングノートではなく、「大事なこと(を告げておくための)ノート」を作りました。
よろしければ、あなたに差し上げます。
考えるきっかけにしていただければ幸いです。

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気持ちが変わった時には、いつでも書き換え、追記できることが「利点」かと思います。
保険証・介護保険証・生命保険の証書・権利証なども一緒に保管しておけば、文字通りあなたの『大事なこと、ノート』になるでしょう。

『大事なこと、ノート』の詳しい解説はコチラ▼▼▼をご覧ください。


■   □   ■

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行政書士 石川秀樹(ジャーナリスト)

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