2022.01.07
《家族信託は全国対応しています》★信託の契約書作成とコンサルティング/受託者への支援
実家の父が認知症!? 心配だから家族信託をしたいけれど、近くに専門家が見つからない。どうしよう……。 こんな方、少なくないのでは? 誰に相...
2022.01.07
実家の父が認知症!? 心配だから家族信託をしたいけれど、近くに専門家が見つからない。どうしよう……。 こんな方、少なくないのでは? 誰に相...
もっと家族信託! 石川秀樹のブログです
幻冬舎GoldOnlineが、成年後見制度のキモを解説している。家族信託の本『家族信託はこう使え 認知症と相続 長寿社会の難問解決』から7記事選んで抜粋し、随時ネット配信する。連載第1回は、<大ショック…親の認知症で「気づいたら資産凍結」。知らないでは済まされない「成年後見制度」の仕組み(同オンラインが独自に付けたタイトル)>だ。
お読みになると、旧来の読者からは「んっ!? 石川さん、あなたは成年後見否定論者じゃなかったっけ?」と言われそうな書き出しである。
でも、「成年後見の方がいい」なんて言っているわけではない。ふつうの家族なら、親に認知症の心配があるなら、迷うことなく家族信託を使ってほしい。ただし、家族間に対立があるような“残念な家族”の場合は、家族信託を使ってはダメだ!! 親の財産の管理に汗を流す受託者があまりに気の毒だからだ。敵対家族の罵詈讒言はやむことがない。
今度の本『家族信託はこう使え 認知症と相続 長寿社会の難問解決』では、家族の横やり介入を許さない成年後見制度の“厳正”な一面を長所のひとつと見たてた。前の本『認知症の家族を守れるのはどっちだ!? 成年後見より家族信託』より「公的後見」を冷静に、かつ公平に評価した。成年後見制度は敵ではない(とても使いにくく、大きな欠点があるけれど)。承知して使えば、使いようで鋭い“武器”にもなり、家族の対立を強制終了させる力がある。ただし、かなりの劇薬、注意は必要だ。
まずは論評抜きでネット配信記事をお読みください。
その後、続きのページ「第3章 使いづらいが役に立つ法定後見 凍結を解除し、家族の対立を断ち切る」―—を丸ごと掲載する。
解説もつけたので、著者としての私の真意を理解していただけたらうれしい。
Table of Contents
大ショック…親の認知症で「気づいたら資産凍結」。
知らないでは済まされない「成年後見制度」の仕組み《幻冬舎GoldOnlineが独自追加した 連載記事リード》
「親に数年会っていない」「家族との仲が悪い」──こうした状態が、「成年後見」を招く要因となります。また、多くの人にとって「相続」と「認知症」は人生後半における大きな課題です。もし、この二つの課題が同時期に重なってしまうと──資産が凍結されて「自分のお金が使えない」という最悪の事態を招いてしまいます。石川秀樹氏の著書『家族信託はこう使え 認知症と相続 長寿社会の難問解決 』(ミーツ出版)より、人生において知っておくべき「相続と認知症」「成年後見」に関して書かれた箇所を、一部抜粋してお届けします。
《本書49ページからの本文抜粋》
成年後見制度は財産管理や契約行為ができなくなった人のための救済制度であり、相続とは無関係です。しかし救済の過程で、遺産分割などに強い影響力を与えるので、知らないで済ませるわけにはいきません。
この制度の最大のメリットは、▼凍結された資産を動かせる唯一の制度であること。また▼公的制度なので国の支援があり、認知症なのに独り暮らしで身寄りがない、収入が乏しく高齢、頼る人もなく老々介護の日々など、社会的に弱い立場にいる人を救済できること。さらには▼家族内の対立があり、親の財産を子が管理するには著しいリスクがありそうなときの代替手段になり得ること――、があげられます。一方、「使いにくい」という批判もありますが、老後の暮らしを守る不可欠な制度です。「認知症になってしまった」からの救済ツール
成年後見制度は、認知症対策の切り札のようにいわれています。
切り札とはいえ、家族信託とは存在する理由も違うし、立ち位置も異なります。ひとことで言えば、すでに手遅れになってしまった人のために使う“救済ツール”。何からの救済かといえば、第3部の民法の問題に関して書くことになる「認知症になるとできなくなること」からの救済です。
このツールがなければ、本人も家族も、すでに困った状態に陥っているわけですから、救い出すことができません。
家族にとっては、もちろん使わずにすむよう対処しておきたかったところでしょう。気持ちの面からも、費用の面からも代償が大きいですからね。
成年後見制度の用語
成年後見制度は、民法の枠内にあり、その基本的な観念は委任と代理です。しかしこの制度の委任者は、事理弁識能力を喪失しているか欠けている人を想定しています。そうすると委任の意思が不完全なので、本人や本人の親族など特定の人が申立人となり、➀財産管理と②介護認定など医療や福祉関係の手続き(これを「身上保護」といいます)をする代理人を選任するよう家庭裁判所に審判開始を申立てます。申立てを受け家庭裁判所は後見人等を職権で選任します。成年後見人等は以後、本人の公的代理人として上記2つの職務を遂行する義務を負います。
このような法定後見には、判断能力の低い順に成年後見・保佐・補助の3類型があります。親族も後見人等の候補になれますが、最近は士業などの専門職後見人の比率が8割くらいを占めています。
法定後見とは別に、任意後見契約も制度の一翼を担っています。任意後見人は依頼者が自由に指定できますが、任意後見は家庭裁判所が任意後見監督人を選任して開始となるので、一定の制約は受けます。
もうひとつ、成年後見制度については指摘しておきたいことがあります。こちらの方が「救済」という観念よりももっと重要。それは、親への無関心と家族の不仲が成年後見を招く要因になる、ということです。単に凍結防止なら、家族の結束があれば成年後見制度以外にいくらでも方法があったのに、この大掛かりな制度以外にもはや親の老後を守る手立てがない、というところまで追い込まれてしまった、ということを意味します。
頑丈すぎて敬遠される?成年後見
わたしたちは通常、お金を動かせる状態を維持するためにいろいろなことをします。
お金の“動かし役”を家族が務めるのと、そこに第三者が介在してくるのとでは、負担感がまるで違うことをわかっているからです。「成年後見は
ちょっと……」と多くの人がたじろぎます。何しろ、成年後見の後ろ盾は家庭裁判所ですから。そして後見人等に最近は、家族ではなく、弁護士や司法書士、社会福祉士、行政書士などの法律専門職が8割くらいの確率で選任されます。たかがお金の管理のために、なんとも頑丈な仕組みです。
「たかがお金の管理」ですが、逆にいえば、お金のことはそれほどの重大事だということでもあるんですね。親が認知症になると、ごくふつうの生活を送ってきた本人も、家族も、人生観が変わるくらいの激変に見舞われ、強い心身のストレスを受けるようになるでしょう。もちろん負担感は、本人がいちばん重いです。これから自分がどうなっていくのかさえわからないという不安を抱えているときに、《自分の預金がおろせない》という“大事件”に見舞われているのですから。
家族が代理して引き出すことは、心理的にはわずかなショックかもしれません。本人は財産を失ったとまでは思わないでしょう。でも認知症は進行する病気ですから、不安が募ればより完ぺきな凍結防止のために家族信託を使う人も出てきます。一方、もはや親の状況が代理などでは通用しなくなったとなれば成年後見に踏み込まざるを得なくなります。すると家族信託では、重要な財産の一部を家族に託すことになります。一方、成年後見では財産の全部を他人に引き渡します。本人にとっては、どちらも大ショックでしょう。そんなことまでする理由は何でしょうか? 私たちは、そこを考えなければいけません。
《本書第3章の続き》
家族信託と成年後見は、第2部で紹介する代理人カードなどの簡易な手段とは根本的に異なります。仕組みがとても複雑で大掛かりなのです。
家族信託の場合は、親は凍結防止のために金銭の一部や不動産などを子に渡し、名義まで子の名義に換えます。便宜的にですが、所有権が子に移ります。成年後見の場合はもっと強烈で、自分の財産の全部を後見人に渡すことになります。親にとっては、(自宅にはそのまま住めたとしても)自分の財産を完全に失ったも同然という事態になるわけです。
これらの重大な行為をするのは、単にお金を使えるようにするためですか?(本人自身が使うのではありません。子や後見人が、本人のために使ってくれるのです。本人はそのようにして「守られる人」になります)
( )内の言葉をいいかえれば、《親はもはや家族や後見人を頼らなければ生きていけない人になっている》ということです。子の側からすれば「親から頼まれる身になった」、後見ならば「親の窮状を救うためについに後見制度まで申し立ててしまった」ということ。単純に「財産凍結を防ぐ」「凍結された財産を解放する」どころではありません!
家族信託、あるいは成年後見でなければ親の老後のくらしを守れなくなってしまったのです!!
もはや親の力や自覚だけでは事態を解決できず、家族の総力か、成年後見という法的な強制力をもつ制度の力を借りなければ解決できなくなった、ということです。ことに成年後見制度を使う場合は、必然的に家族以外の第三者が財産管理の主要メンバーとして登場してくるわけですから、家族の自治だけでは解決できなくなったことを自覚すべきです。
親からみれば、『家族が俺のお金を動かしている』か、『あろうことか、他人が俺のお金を持ち出している』という事態ですから、いいようもないほど重大なことで、また不安で不満なことなのです。
そのように感じているであろう本人の気持ちを想像することもなく、「自分のお金を親がおろせなくなってきたから」「親の言動のおかげで預金を凍結されてしまったら困るから」などという感覚で、信託契約や後見開始の申し立てなどをすべきではありません。
本書で私は、親の認知症への対策と、その後に続く相続のことまでを視野に入れて「家族の問題」を書いていくつもりです。まえがきで書いたように、「銀行による預金凍結」は老後の一大事ですから、まずそれを何とかしましょう。だから家族信託、成年後見なのですが、この2つのツールは、「これなしには親の老後のくらしを守れない」という最終的な手段です。ただの凍結防止・凍結解除のためのツールではありません。もっと重い役割を担っています。
親世代は、何を心配していると思いますか?
凍結のこと? いやいや、意外にもお年を召した人はそういうことには感度が鈍く、真剣に心配している人は少ないようです。『自分はまだまだ大丈夫』と思い、『うちでは争族など起きない』と固く信じている人の方が圧倒的に多い。不安がありながらも、それをどうやって解決するかについては何も手を打とうとはしていません。
いま親世代の多くがこういうあやふやな状態です。
それですむならそれが幸せか、と私も思いますが、認知症は、そんな楽観を打ち砕きます。対処の仕方ひとつで、家族を破壊してしまうかもしれません。本人ではなく、家族関係に痛手を負わせるんですよ!
多くの人が見落としていることがひとつあります。
それは単純なこと、「誰が親のお金に触るのか」ということです。
誰もすき好んで名乗りをあげたくないことでしょう。お金の管理なんか、やって得することなどほとんどない。どこから“火の粉”が舞ってくるかわからないくらいです(流用したい人以外は敬遠したいでしょう)。
実は( )に書いた流用が問題です。親のお金を子が管理する場合、誰もが「流用はありがち」と思うことであり、実際にもしばしば起きていますからね。厳正にきちんと管理している人からみれば「とんでもない疑い」になるでしょう。そんな根拠のない陰口をたたかれたら、怒り心頭に発するに違いありません。でも兄弟姉妹からあらぬ疑いをかけられてしまうことはよくあること。一方、親のことに誰もが無関心でいると、スルスルっと親に近づき非常識な遺言を書かせる者も出てきます。いずれも家族の中で起こることです。親にお金がなければこんな“相続あるある”は起こらないでしょうに。
しかし家族間の疑心暗鬼は起きたら最後、対立がやむことはありません。
親が本当に《わが家で争族は起きない》と思っているかどうかはわかりません。わからないけれども、親の側から「きょうだい間対立に手を打っておこう」などと用意周到に思いを巡らす人はあまりいません。だから対立はのっぴきならないところまで進み、果ては裁判にまで発展……。親が何も対策しないと、こういうことにもなりかねないのです。
防ぐ手立て、子の側で何とか解決に導く方法はないのでしょうか。
ひとつは家族信託です。子が一致して心身の力が減退してきた親を守る。最も重い責任がかかる財産管理は、責任感の強い1人が担う。そうできれば万全です。
一方、きょうだい対立がやまない家族の場合(たとえ今は“対立”とまでいっていなくても)、家族信託でみなの意思をまとめることはむずかしいでしょう。
すでに対立が表面化している場合は、あえて法定後見を選択するということもあり得ます。対立をスパッと断ち切ってくれるのが法定後見です。
いい方は悪いですが、争いの元となる親の財産を、根こそぎ持っていくのが後見人たちです。家族が財産について四の五のいう機会は強制的に消滅します。いささかドラスチックではありますが、効果は絶大-。
これが成年後見制度の最大のメリットです、などというと、成年後見制度にかかわっている人たちからは叱られそうですが。でも私は、お金をめぐる家族のドロドロ劇を裁判沙汰になるずっと前に“火消し”してくれるのは法定後見をおいて他にはない、と信じています。
□ ■ □ ■
ここから先は、著者のミニ解説。
幻冬舎GoldOnlineの抜粋の冒頭で「成年後見制度は……、相続とは無関係です。しかし救済の過程で、遺産分割などに強い影響力を与える」と黄色のマーカーを付けた部分、分かりにくかったのでは?
相続人の中に認知症などで意思能力を喪失した人がいると、遺産分割協議が行えないので、成年後見人を付ける場合がある。これが大問題。以後、被後見人が亡くなるまで後見が続くことが一つ。もうひとつは「成年後見人は被後見人の権利を守るために、必ず法定相続分を主張すること」。これにより他の家族が「こうしよう」と思っていたことは実現しなくなる。家族の自治に「公的な圧力」が加わる典型的な例である。
この章でさらにもっと重要なことは、家族間対立が本人の幸せや相続を破壊するということだ。
対立しても、誰も得をしない。
全員が損することが決まっている、というのが私の見立てである。ただの1人も得しないことは決定している。裁判をしても無意味。費用の分だけ各人の得られる分が減るだけである。なぜなら「法定相続分」が裁判官が拠るべきただ一つの基準であり、もう一つは民法で規定されている「遺留分」という権利があるだけ。だからこの範囲内で裁判は決着する。
言うまでもなく、争えばイヤな感情だけが残る。「勘定」的には全員が損するわけである。言葉通り、相続紛争は“無益”な対立だ。
そのことに加えて、成年後見人がやって来る。
家族の1人(4親等内なら誰でも構わない)が公的後見開始の審判を家庭裁判所に申立てれば、間違いなく他人である専門職後見人が指名される。
以後、本人の財産はこの人が管理し、処分する。家族の対立は「強制休戦」。被後見人が亡くなって初めて家族は、後見人が行なった本人財産の管理の最終結果だけが渡される。期間中の後見人の判断は、家族の誰も知り得ない。
そうして遺された財産を家族が分け合うことになる。
「戦闘再開」なのか、投げやり分配になるのか、(毒気を抜かれたように)元のさやに戻って円満相続になるのか、後見人はあずかり知らない。
こんなことになるくらいなら、家族がよく話し合って、家族で本人を支える方がはるかにいい。
家族信託が信頼できないなら「商事信託」のどれかを使ってもいい。
以上が、私がこの章を書いた本音である。
家族信託より成年後見を使えと言いたいのではない。
成年後見制度は家族対立を強制的に中断させる。
そういうことはあらかじめわかっていることなので、そんな制度に追い込まれないように、家族に注意を喚起したのがこの章の趣旨。
家族対立があるために成年後見に追い込まれる、などという愚だけは犯さないでほしい。
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