★人生に「遅すぎ」はない !! さめた心に、61歳の挑戦が火をつけた。

後半人生

※古い記事を調べていて、こんなプロフィールがあったことを“再発見”した。
私が新聞社定年を前に、行政書士試験をめざしていた頃のブログである 。
『なんと俺らしい !!』
久しぶりに、自分らしい書き方だな、と思った。
そしらぬ顔して、“何か”と戦っている。
当時戦っていたのは、たぶん[会社に否定されたのに“見ないふり”をしていた自分]と、だろう。
今は、もう少し強くなった自分を認めつつ、時々折れそうになるジャーナリズムを「もっとに研ぎ澄ませ!」と鼓舞している。
《初出:2012年2月1日の「Amebaブログ」。あれからもう、10年ですね》

何かをしようというときに、遅すぎるということはない。

 

■2年間、意思を貫けたのが驚き

朝9時半、インターネットで自分の番号を探した。
平成23年度行政書士試験の合格発表。
ちょっと浮足立っている。
ドキドキする。
見つけた!!
何の変哲もなく、 その番号はそこにあった。  

 

ホッとした。 あるとないとでは大違いである。
昨年11月、60歳からはじめ、2回目の受験。
手ごたえはあるような、ないような・・・・・。
しかし『(ダメだったら)もう1回受けてみよう、とは思えないだろうな』と思った。
だから、これが「最後の機会」という感じがしていた。  

 

これほど精魂を傾けてきた”事業”が未完結では、 自分自身に対してどうにも『オトシマエ』がつかない。
生来なまけ者だが、人生でこれほど真面目に取り組んだ期間はなかった。
この2年間、意思を貫けたことは驚きだ。
別に難行苦行をやってきたわけではないから、続いて当然ではあるが、 あきっぽい自分の思いがけない粘り強さを発見して、勇気づけられた。
(「自分が自分に勇気づけられる」とは変な表現だが・・・・、事実である)

 

■「お父さんもやりなよ」と娘が言った

すべては、娘のこの一言からだった。
30歳を過ぎ親と同居、地元企業に通う気楽なOL、 その娘が急に、一心不乱に勉強し始めた。
行政書士の試験を受けるのだと言う。  

 

「お父さんもやりなよ。司法書士の方がもっと難しいよ」  

 

試験日が近づいていた2009年10月、娘が言った。
いつになく頑張りが続いている姿を連夜見ていて、何かを感じていた。
それで、「おっ!? やってみるか・・・・」と即答した。

 

■さっぱり分からない、だから本気になった

法律については、右も左も分からない。
なのに、翌日買ってきたのは「過去問集」だった。
それもDVD付き、東京リーガルマインド(LEC)の問題集だ。
16万円もした! 早とちりもいいところだった。
試しに、勘で解いてみた。
問題を読んで驚いた。
意味さえ分からない・・・・。
10問が10問とも外れた!  

 

『まあ、いい』 当然じゃないか。
『しかし、これはまいったぞ…』
とんでもない世界に迷い込んだらしい。
怖気づきそうだった。
『でも、16万円だよ!』
すごすご引き返すわけにはいかない・・・・。  

 

だからだろうか、スイッチが入った。
無駄はしたくない。
そこで「数字」へのこだわりを捨てた。
小遣い帳、万歩計、ゴルフのスコア・・・・。
それどこじゃないのだ!  

 

テレビを見ることをやめた。
週に1番組のみ、日曜日の1時間だけ観ることを自分に許した。
同時に、読書の楽しみも捨てた。
法律に関係する本以外は、一切読まないことにした。
ストイックなわけではない、時間をひねり出したかったのだ。

 

■模試を受け「現実」を知り、激しく動揺

なにしろ司法書士試験は10科目もある。
民法、商法、憲法、刑法、民事訴訟法、民事執行法、民事保全法、不動産登記法、商業登記法、供託法。
これに記述式の試験が加わる。  

 

これを1年(実質9ヶ月)で合格しようと思ったのだから、自己過信がすぎた。
テキストを順次買い増ししたが、どの科目でもつまづいた。
読むのがつらい。
用語の意味さえ分からない。
独学だから、聞く人もいない。  

 

それでも、今から思えば「インプット」は楽だった。
覚えればいいだけだから(覚えてもすぐ忘れるが)。
テキストを一巡し、過去問(アウトプット)に向かった途端、また挫折だ。
一通り読んだ程度の知識では、手も足も出ない!
非力を通り越すと、腹が立ってくる。
だからアウトプットをすると、いつもひどく疲れた。

 

 自信満々とは言わないけれど、これまでの人生、 これほどまでに自分を否定される経験はしたことがない。
それでも格闘を続け、翌年5月には全国模試を受けてみた。
惨敗!! 
択一式全70問中、「正解」の確信はついに1問もなかった。  

 

ここまで平日4時間、日祭祝日10時間、 月間170時間×7ヶ月=1190時間余も費やしてきたのだ。
情けないのを通り越し、パニックに陥った。  

 

■「行政書士」に志望変更、しかし尾を引くショック

狼狽した。
受験予備校の模試だから、「慣れていないせいだ」と言えなくもない。
いくらそう慰めても、実力不足は明らかである。
能天気に「1発合格」を夢見てきた自分がバカに見えた。

 

同時に、怖くもなってきた。
『1年どころか、2年目、3年目でも難しいのではないか・・・・』
10教科もあると、1教科やり終え次の教科に向かうと、 覚えた頃には前の教科を忘れている。
まるで賽(さい)の河原の石積みだ。
ゼロから挑むにしては、ハードルが高すぎた。  

 

それで、志望を娘と同じ「行政書士」に切り替えた。
娘は超人的な要領のよさを発揮して前年、4ヶ月で1発合格していた。
今ではそれがいかに“奇跡的な幸運”であったかが分かる。
行政書士の試験もまた、「6割で合格」のラインを超すことは至難である。  

 

しかしその時は、ワラにもすがりたかった。
59歳で勉強を始め、60歳になってしまった。
遅咲きは覚悟の上だが、3年も4年も成果なく受験生をやるのは辛い。
喉から手が出るほど「具体的な成果」がほしかった。
それで、目標を行政書士試験に切り替えた。  

 

5月半ばから11月中旬の本試験まで半年間もあったのに、 模試で見せつけられた現実が当時の実力だったのだろう。
淡い期待感をよそに、あえなく敗退となった。

 

■受験生2年目は「激動の年」になった

不合格通知を手にした昨年1月末、当然のように再挑戦を決めた。
ところが昨年は、公私とも激動の年となってしまった。
誤算の第一は、3月に新聞社から放送局に転籍となったこと。
すでに嘱託の身、放送局の現場で一兵卒として再スタートだ。

 

しかも異動直後の4月、流行りに乗って「ツイッターイベント」を主宰するという間の悪さ。
その間、3月11日には東北の震災・津波、原発事故が発生した。  

 

1月から4月まで、完全に勉強を放棄した。
不合格のショックを引きずっていたのだと思う。
60歳を超えているからと言って、特段のハンディーは感じないが、 1つだけ教訓として思うのは、
「甘い見通しのまま(楽観気分で)、挫折してはならない」と言うことだ。
覚悟のない行動が引き起こした挫折は、本人が考えている以上に、精神的なダメージを残す。

 

■長い下り坂に歯止めは掛けられるのか

僕は54歳で地方紙の編集局長になった。
同時に朝刊1面の「コラム」も担当。
2年半後、職場を変えられ、以後は長い下り坂を歩き続ける・・・・。  

 

本人はへこたれてはいなかったが、たぶんそれは負け惜しみなのだろう。
なぜ娘の一言に反応したかと言えば、 俺の価値は俺が決める』との思いがあったからだ。  
新聞社で地位が上がっていくにつれ、自分の奔放さが消えていった。
出世を気にするから、人に気を使うようになる。
そして、絶えず人の評価を気にするようになった。  

 

いつの間にか、いかにもサラリーマン的な価値観に漬かっていた。
思いっきり足をすくわれて、当たり前の現実に気がついた。
もはや会社で好き放題ができない、ということ。
やりたいことはすべて実現させてきたのに、今は何もできない・・・・。  

 

期待されていないということは、心が冷める
どこか深いところで、自分が感じる以上に傷ついている。
今さら『なにくそっ!』などとは思わない。
ただ、『俺は俺だ・・・・』と、黙り込む。

 

■支えられて生きてきた・・・・、歌が気づかせてくれた

ある日、車の中で「ゆず」の歌を聴いた。
『栄光の架け橋

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった 決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ  あの時想い描いた夢の途中に今も  何度も何度もあきらめかけた 夢の途中・・・・・

 

アテネ五輪当時、毎日のように聴いていて何も感じなかったのに。  ……………………

想い出せばこうしてたくさんの支えの中で歩いて来た

このフレーズを聴いて胸にグッと来た。
なぜか涙がわいてきた。
妻のことを思った。

 

『そう言えば、何も言わなかったな、あのころ・・・・』  
何も変わらない日々だった。
子どもたちも三人三様、私の突然の異動(編集局長更迭)に触れる者はいなかった。

 

『そういう支え方があったのだな・・・・』
歌から直接に伝わってきた何かを、言葉として伝えようがない。

 

家族からのメッセージ

60歳になった私に家族からメッセージが。祝いの品よりうれしい1人ひとりの言葉だった

 

■新しい職場、戸惑いながらガンバった

今年はまいった。
新しい職場がやはりストレスだった。
仕事を知らない、人も知らない、段取りが分からない、機械も苦手・・・・。
だからすべてに自分用のマニュアルをつくって、何とか切り抜けた。  

 

先日、2月いっぱいで退社することを会社に告げた。
意外な顔をされた。そして、引き止めてくれた。
うれしかった。
戸惑いながら右往左往していた初めの3ヶ月、どうなることやらと思いながら、
『辞めるときに引き止められるくらいの仕事はしなくちゃな…』
と、あえて自分にプレッシャーをかけてきた。
一応”戦力”と認められているらしい。

 

それはささやかな、1年間の”勲章”だ!

 

■競争相手は自分自身だから気持ちがいい

法律の勉強を始めて何が変わったかと言えば、人間を取り戻したことだ。
そして、異質な新天地(放送局の現場)でゼロから“自分の居場所”を築いたこと。
僕は、どんな境遇になっても生きていける。

強いと思う。
が、同時に弱い人間でもある。  

 

『俺は俺』と言いながら、実は人の視線を気にしないわけではない。
生きていくことはできる、しかし、心の中はざわついている。
そのざわつきに打ちのめされないためには、知らぬふりをするしかない
「仮面」をかぶっているうち、いつしか僕はやはり自分らしさを失っていた。  

 

そういうとき、「国家試験」という目標を持った。
評価は明確だ。 水準に達しているかいないか。
きっちり点数が出る、人の思いなど関係ない。  

 

はじめのうち、まだそんな雑念が頭の中にあった。
だが、とんでもない世界だった、法律の専門家を目指すということは。
人にどう思われるかなど、気にしている暇はない。
足の先から頭のテッペンまで、そして脳内を、完全に”法律漬け”にしなければ、 とてもあの稜線は越えられない!  

 

「挑戦のしがいがある」と言えば強がりで、何遍投げ出したくなったか知れない。
しかし行政書士の試験には、1つだけ利点があった。
それは「合格点は60%」であると言うこと。
そこに到達すれば合格だ。
つまり人と競わなければならないわけではない。
競争相手は自分。
自分が力をつけさえすればいいのだ。  

 

勉強は、やれば身に付いてくる。
あれほど分からなかったテキストも、分かる部分が増えてきた。
1回目よりは2回目。
苦手だった民法(でも、一番おもしろい!)も、全条文を3回読んだころには、 勘ではなく、法律的思考で考えるようになってきている。  

 

■「一歩踏み出し」てこそ見えてくるものがある

まだ「何も」つかんだわけではない。
ただの「挑戦者」が、1つだけ自分のテーマを達成したにすぎない。
しかし、このことが心に与える作用は大きい。  

 

たまたま成功裏に終わったから言うのではない。
僕にとって、最も大きかったのは「一歩、踏み出したこと」だった。
定年を1年後に控えていたのに、何の準備もしていなかった。
家に帰ればテレビドラマを観、好きな本を読む。
そんな生活を脱却しようとも思っていなかった。  

 

勉強を始めてから、何もかもが変わった。
習慣を変え、真剣に打ち込むことで、少しずつ内部から変わっていった。
身に付いたのは知識以上のものだったと思う。
忘れかけていた「意欲」、 内側から燃えてくる「勢い」みたいなもの、 そんなものが確実に蓄積されていったのだ。  

 

長いこと僕は死んだふりをしていた。
『これは死んだふり、本当の自分じゃない』
そう思うことで、これ以上傷つくことを避けていた。

 

人にも会わなかった。  
ある時期、それは必要だったと思う。
だから壊れないで済んだ、とも言える。
「ふり」のおかげで、自己否定しないで済んだ。
考えないでいるうちに”受験勉強”に出合ったから一心不乱に打ち込み、 ついに自分のことを考える暇なく、ここまで来ることができた。  

 

■ジャーナリスト魂を取り戻した

娘は、本当にちょうど良いときに声を掛けてくれたものだ。
これ以上“隠居”を決め込んでいれば、 「ふり」のつもりが本当に “終わって“しまったことだろう。  

 

編集局長転落以降、僕はツイッターの巨人になった(フォロワー20万人)。
facebookでもそれなりの“場“を確保しつつある。
出版することの楽しさも思い出した。
何より、自分の心根はまさにジャーナリズムにあることに気づいた。  

 

もう大丈夫。
定年後、やることのないオヤジに僕はならない。

 

3月には、地元静岡で出版社を立ち上げる。
自社企画の本をつくる。
それ以上に、自費出版の本づくりの強力な助っ人になる。

 

合わせて僕はジャーナリストだ。
人の人生のことを書くし、テーマを決めてそれにもかかわり続ける。  

 

夏には行政書士事務所も開きたい。
人の思いがどろどろする「相続の分野」こそが、“人間専門家” の僕の出番だ
税理士とは全く違う観点から、良い相続をするお手伝いができるだろう。  

 

さらに、寝たきりの母の介護。
書道で忙しい妻の事務の手伝いと運転手役。
これらもやるつもりだから「5役」になる。  
これからも忙しく働く、と言うのが当面の目標だ。

 

■やり切ってから笑おう!

2012年1月31日に書いたブログを再掲載した。
前日、私は61歳11ヶ月目にして行政書士試験に合格している。
いま読んでも、プレッシャーから解放された安堵感が伝わってくる。
試験は前年11月に実施しているから、 合格点に達しているであろうことは早くから承知していた。  

 

だからこそ、歓びというより、安堵なのだが・・・・。

 

振り返ると火事場の馬鹿力のようでもある。
本気で勉強した。
ゆずの歌に思わず泣いてしまうなんて。
よほどのやせ我慢だったろうと、今にして思う。  

 

乗り越えなければ、こんなことは書けない。
それだけが2年間を支えたモチベーションだったかもしれない。  

 

何かに挑戦する人に。
遅すぎるということはない!
挑戦して無駄なことも1つもない!
あきらめていい理由も、たぶんないだろう!
気持ち1つだ!
言い訳は封印しよう。

 

やり切って笑った方が気持ちがいい。

 

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石川秀樹(ジャーナリスト/行政書士) ◆静岡県家族信託協会を主宰 ◆『認知症の家族を守れるのはどっちだ!? 家族信託より成年後見』の著者 ◆新聞記者40年。61歳で行政書士試験に合格。 ◆「お悩みを聴かせてください。大丈夫、解決できますよ」が信念。

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石川秀樹(ジャーナリスト/行政書士) ◆静岡県家族信託協会を主宰 ◆『認知症の家族を守れるのはどっちだ!? 家族信託より成年後見』の著者 ◆新聞記者40年。61歳で行政書士試験に合格。 ◆「お悩みを聴かせてください。大丈夫、解決できますよ」が信念。

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