2022.01.07
《家族信託は全国対応しています》★信託の契約書作成とコンサルティング/受託者への支援
実家の父が認知症!? 心配だから家族信託をしたいけれど、近くに専門家が見つからない。どうしよう……。 こんな方、少なくないのでは? 誰に相...
2022.01.07
実家の父が認知症!? 心配だから家族信託をしたいけれど、近くに専門家が見つからない。どうしよう……。 こんな方、少なくないのでは? 誰に相...
もっと家族信託! 石川秀樹のブログです
家族信託は、なぜ認知症対策になるのでしょう。 きょうは「家族信託」の原理や考え方を、やさしく解説します。
はじめに4つのイラストを、上から順番にご覧ください。現在の様子➤成年後見➤任意後見➤家族信託のイメージです。
現在のように本人が笑っているのは家族信託だけ。成年後見も任意後見(娘が任意後見人なのに)も、本人は苦虫を過去つぶしたような顔をしています。面白くないんです。イラストに出ているのは、本人と家族と、法律の専門家(成年後見人と任意後見監督人)、それと本人の財産です。
違っているのは、財産を誰がもっているかだけです。現在は、本人が所有者としてすべての財産を自分で管理・処分しています。
成年後見人が付くと、成年後見人が全財産を管理(家庭裁判所も存在感)。任意後見では、全財産ではなく特定の財産を家族の1人が管理(しかし任意後見監督人と家庭裁判所がにらみを効かす)。成年後見も、任意後見も家族はかすんでいます。全員ハッピーなのは家族信託だけ。
なぜこうなるかを、これから解説していきます。
目次
最初に断っておきますが、 「成年後見」も「家族信託」も、やむなく使う手段です! どっちも使いたくはない。でも、どちらの方がマシか、というお話。 誰も好き好んで、他人に(家族も他の人です)自分のお金を管理されたくはないでしょう? 下のイラストが、私たちの“ふつうの状態”です。
▼家や土地▼現金▼預貯金▼収益アパートや▼株/投資信託▼生命保険、その他▼実印・銀行印▼健康保険証▼介護保険証――。 財産や大切なものを全部、《私》が持っています。当たり前ですよね。 その財産をどう使おうと、《私》の勝手。 《私》は、自分や家族のために、主に使っています。 誰に指図されることもありません。
ところが、《私》が認知症になりお金のことがわからなくなると、見かねた誰かが成年後見開始を家庭裁判所に申立てます。 すると、《私》に後見人等(いちばん有名なのが成年後見人、次いで保佐人、補助人)が付けられることになる。
途端に、私は“蚊帳の外”(私の財産なのに)。 一切触れることができず、あろうことか、私の家族さえ私の代わりに財産管理をすることができず、成年後見人は私の財産全部を自分の元に持っていってしまう。 私には意思がない(そう、私は廃人のようだ。感情やほこりがあっても振り向かれることもない)。 後見人は知らぬ顔で、私のために(私のためだけに)財産管理を行う、という。
(だけに)と付けたのは、後見人は「家族のため」には財産を使わないからです。 ですから上のイラストでは、私の「家族」はほとんど見えなくなっている。 この「構図」を家庭裁判所が保障している(家裁が後見人等を監視している、という建前) ※家族のうち、配偶者(妻)は私の扶養義務の範囲内で、生活費を後見人等から支給されます。
《私》はボケているのに、怒り顔をしています。 ボケていても、相手がいい人か悪い人かはわかるし、一所懸命か手を抜いているか、分かるんですよ。 あるいは私に対して一片でも敬う気持ちがあるのか、ただ見下げて接しているのか、 そういうことも、私には全部分かっている(私は認知症でも、廃人ではない。人間なのだから!!)。
他人が直接、《私》の財産に手を出してくるからこんなことになる。 元々日本の成年後見制度というものは、後見人等がよほど謙虚ですぐれた人間性を持っていない限り、一般の利用者からは強い反発を受ける“構造”を持っています。 だから、成年後見の「制度設計者」も代案を用意したんですよ。 任意後見契約がそれ。
《私》が元気なうちに、後見してくれる人を自分で決めて、その人と契約しておきます。 私が契約したのは、いつも心配して家に来てくれる私の娘。 任意後見人に管理させる財産は、全財産ではありません(私は家や収益アパートの管理などをお願いした)。 公的後見とは違い、任意後見の場合は、特定の財産だけを管理してもらいます。
▼後見人を自分で選べる▼管理財産も決められる▼どのように管理するのか、条件まで決めておける――ということで、「公的後見よりマシ」「すばらしい契約だ」、と勘違いする人が大勢います。 でも、それはどうでしょう。 「任意後見」も「成年後見制度」の中にある仕組みです。 「成年後見人、保佐人、補助人」は、裁判官が決めますから公的後見人と言われます。 「公的」に対する、(裁判官ではなく後見される本人があらかじめ契約しておく)後見人だから任意後見人なのです。
名前はともかく、国の後見制度の枠内にある「後見」だから、基本構造は同じ。 任意後見人は、家裁の息のかからない、力量の分からない未知の人。 今ひとつ信用しきれないので、制度設計者は「任意後見」のスタートに条件を付けます。 契約が発効するときには、家裁がかならず「監督人」を選任すると。 これが任意後見監督人です。 選ばれるのは司法書士か弁護士。 家庭裁判所が以前から知っている“素性のわかった”人たちです。
これが認知症の本人《私》から言わせてもらうと、せっかくの仕組みを台なしにした。 昔から言われるじゃあないですか「小権力者ほど威張り散らす」と。 奉行と与力と目明し・その子分の関係ですよ。 裁判長は威張らないでしょう、取次役の事務官(調査官・秘書官)は権威を示したい、任意後見監督人はその意をくんでより厳正な財産管理を指示する。 しかし法律の枠内にいる“プロ”の皆さんと、一般庶民とは、しょせん金銭感覚が違う。
先日、スシローに夕飯を食べに行きました。 いつものように(今までしてきたように)、認知症になっていても《私》のおごりです。 ところが後日、任意後見人になった娘に聞けば、「割り勘にされた」と。 任意後見監督人の指示だとか。 「ご本人の分を自分で払うのは構わない。しかし家族の分は別会計」 こういうケチくさい使い方を私はしないが、他人の士業は、親の財産と子の財産は「分別管理」。 これが成年後見制度[成年後見・保佐・補助・任意後見]の財産管理の基本だという。
《私》には噴飯ものですがねぇ(民法858条にはこんなことをうたっているんですから)。
しかしボケ老人の《私》つぶやきなんか、家庭裁判所に届くわけがない。 家族が後見してくれ、家裁おかかえの目明し(いや失礼、任意後見監督人)なんかが付けられなければ、スシローで後味悪い食事をすることもなかったんですが。 まあ、「成年後見」の運用はそんなものだから、仕方ない。 ガミガミ屋の監督人が付くか、もっとマシな人が監督人をやってくれるかは運否天賦(うんぷてんぷ)です。
はっきり言って、手遅れになったら法定後見(しか「凍結解除」の手段なし)。 でも間に合うなら、任意後見契約と家族信託契約と、どっちも選べる。 せっかく間に合うのに、他人(家庭裁判所や士業)の口出しと一切無縁で済む「家族信託」をなぜ選ばないのか、と《私》は不思議でなりません。
多くの人が「家族信託」を選べないのは、家族信託そのものを知らないからです。 一方「成年後見」は、役所でも目立つところにポスターが貼ってあるし、銀行窓口、生命保険のコールセンター、地域包括センターや介護家族と密なつきあいのあるケアマネジャーなどからも熱心に誘われますからね。 どんなにか素晴らしい、安全な制度か、刷り込まれてしまうのでしょう。
しかし《私》は断言してもいい、《私》がボケていく過程でいろいろ心配してくれた(したり顔で成年後見を勧めてくれた)これらの人たちの中で、「成年後見」という制度の深い知識と運用の実態を知っている人は、ただの1人もいなかった。 まして任意後見と公的後見の違いなぞ、知りもしない。
もっと不思議なのは、《私》の家族も大いに成年後見や家族信託を調べた、よく知るために多くの専門家たちに相談もした、その中には家庭裁判所もあった。 しかしここでも「ただの1人も」といいたいが、 ただの1人も、成年後見のイロハから長所、短所、その費用や運用、その結果本人はどのように守られ(あるいは守られないか)、家族はどのような立場で本人やこの制度と向き合うことになるのか、を話してくれる人はいなかった。 何時間もかかるはずですよ、非常に分かりにくい制度なのだから。 しかし熱意があるなら、時間惜しみをせず懇切に、こちらが恐縮するほど詳しく細部まで語りつくしてくれるはずですが、 司法書士も弁護士も、家庭裁判所の事務官でさえ、そそくさと席を立っていく始末でした。
自分の仕事である「成年後見」でさえこうなのだから、「家族信託」なんぞという門外の新手法など知るはずもない。 知らないなら、どうか黙っていてほしい。 多少でも謙虚さがあるなら「それは知らない」といってほしい。 ろくに知りもしないで、専門家のような顔をして「家族信託なんか」と一蹴するな。 それはごう慢だ。 ある分野の専門医が、専門外のがんのことについてよく分からないまま、がんの診断を下すだろうか。 患者にとっての命の大事を、薄っぺらな知識すらなく否定的に語らないでほしい。
すいません、話がそれてしまいました。 家族信託のイメージは、上のイラストの通りです。 《私》が委託者、娘が受託者になってくれました。 収益アパートなど、私の財産の主なものを娘に信託します。 《私》は今、認知症とは自覚していないものの、昨日のことや、ついさっきのことさえ時々忘れてしまいます。 両親も晩年はそんな感じだったので、私は近い将来ボケは進むと思っています。 だからこそ、娘に大事な財産を信託したのです。
なぜ娘が私の代わりに財産管理ができるのか、それを解説するのがこの記事のテーマです。 成年後見でも任意後見でも、他人が《私》のポケット(財産)に手を突っ込んでくるので、《私》は始終怒った顔をしていました。 家族信託なら、もうボケても大丈夫だという安心感があります。 だから元の性質(いつもニコニコの好々爺(こうこうや)の笑顔)を取り戻しました。
では、家族信託の「原理」を解説していきましょう。 認知症などになり、《私》の「判断能力」が失われると、私の意思能力を前提に行ってきた「契約」はできなくなってしまいます。 同時に、誰かに「代理で処理してもらう」ことも無理になります。 なぜなら、私の「意思」を確認できないので、「あなたに委任しますよ」という「委任」が成り立たないからです。
ほら、誰かに代理でやってもらうときには「委任状」が必要だったでしょう。 《私》がキャッシュカードを失くしたとき、娘に委任状を持たせて、銀行からお金を引き出したものです。
民法は基本的に「本人に意思能力がある」を前提に書かれています。 でも、今は人生100年時代。認知症の人が増えてきました。 このままでは社会が混乱してしまう。なんとかしなければ……。 本人の意思能力に頼る(旧態依然とした法律)民法の限界を何とかせよ!
そこで知恵ある人が注目したのが「信託法」です。 「本人の意思能力」に頼り切る民法は、本人が健常のうちは最強ですが、その意思能力を失うと、何もできなくなってしまいます。 お金まで使えなくなってしまうなんて、最悪。
民法はあくまで「人間」中心。 対して「信託法」が注目するのは、人ではなく「財産」そのものです。
つまり委託者は、受託者に財産を便宜的に預かってもらい、仮の“所有者”にして自分(受益者)のために管理させます。 家族信託では、委託者は同時に受益者となります。 信託すると「財産」は網がかかったように見えにくくなります。 でも財産の中身はすべて委託者=受益者のために使われますから、委託者は財産を失ったわけではありません。
受託者は財産の名義(イラストのオレンジ枠)を得ますが、財産からの利益はもらわず、受益者に“利益”を提供し続けます。 (具体的には、受益者に家に住んでもらい、一定金額を定期給付)。 名義を移すのは受託者に管理権を与えるためです。
便宜的に名義を換える、と言ったって、名義を換えたら「贈与」になってしまうのでは? 試しに《母》の通帳のお金を、《私》の個人名義の通帳に移せば……、 これは間違いなく「贈与」になります。 (《私》は今回は受託者の立場で解説します) ※銀行は「A通帳」の名義を「B通帳」に名義変更はしてくれません。 もともと銀行口座は「譲渡禁止」特約つき。だから名義変更するなら、A通帳からいったん引き出し、B通帳に振込むしかありません。
信託法では、受託者は自分の財産と信託財産とが混同しないよう「分別管理」することが義務付けられています(34条)。 だから、私の個人財産に委託者から預かったお金が紛れ込んでしまわないよう、独特な通帳を用意します。 それは、委託者の名と受託者の名が「両方とも入っている」通帳です。 <信託受託者>の文字も入っていますから、信託財産としてこのお金を預かっていることは明白。 銀行も「信託口」のお金として管理していきます(イラスト下)。
名義変更は、通帳に限りません。 信託すると、不動産についても名義変更し、公示します。 登記簿(登記事項証明書)の名義が変更されていたら、本当に受託者に取られちゃったようにしか見えないと思うけど!? そんな素朴な疑問を解いてくれるのがコチラ。
上は何の変哲もない、相続による所有権移転があったことを示す登記簿。 下は不動産を「信託」することで所有権が移ったことを示す登記簿です。 2つを比べてみてください。 下に赤い枠を付けたので、分かると思いますが……。
登記原因は「売買」や「贈与」ではなく→「信託」 所有者欄も「所有者」ではなく→「受託者」に変わります。 でも、字が小さくて、普通の人は気がつかないかも、ですね。 それで「不動産登記法」は、誰でも「信託によって所有者が替わったんだ」とわからせる方法を発明し、信託を後押ししました。
それは<信託の登記>です。 不登法97条3項で、以下のような「信託目録」を登記簿に載せることを義務付けました。 「権利部」の真下に、こんなにデカデカと家族信託契約書の[要約版]に当たる「信託目録」を表示させることにしたのです。
「この“所有者”は信託により不動産を預かっている〇〇〇〇という受託者だよ」 ここまで念押ししてくれれば、不動産の分別管理は完ぺきで、取引の安全を保障してくれるでしょう。 不動産の名義は受託者の名に変わりますが、財産の潜在的な所有者は「委託者」であり、その証拠に、財産は常に自分のためにあります。
そうは言っても、委託者が生きているうちに財産の利益がすべて返ってくることはあまりありません。 残った信託財産はどうなるのでしょう。
委託者に返りきらなかった財産は、委託者の“遺産”として、家族信託の契約書で受取人(「帰属権利者」と言います)と決めた人に、決めた通りに承継されます。 (委託者が信託した財産は、委託者が亡くなった時点で“遺産”となるのです。このことから言っても、信託財産の潜在的所有者はずっと「委託者」であり続けていることがわかります。)
上のイラストを見てください。これまでの解説の復習です。 受託者は、①名義をもらい、その名義があるからこそ、便宜上の所有者として、財産の管理・運用・処分権限を持ちます。
受託者は、②財産そのものも預かります(不動産は例外。登記上の“所有者”になるだけ)。 ③受託者は、財産からの利益(例えば「家に住むこと」「財産の一部を毎月給付されること」)を、受益者に得させます。 この利得のことをまさに「受益権」と呼びます。 受益を受益者にもたらし続けるのが、受託者の主な仕事です。
肝心なことを書き忘れていました。「信託目的」です。 そもそも委託者は、何をしたかったのでしょう? 《わたしはもうじき認知症になりそうだ。そうなると、私の預金は銀行から凍結されてしまうかもしれない。自宅を売って、介護施設の入所費用に充てたいのに、それもできない⁉》 つまり、この信託の一番の目的は「私が認知症になっても私を守って」「私の代わりに家を売り、お金に換えて!」です。
認知症になるとすべてがストップしてしまうなんて、理不尽な話でしょ。 だから民法の「代理制度」を出し抜いて、旧来からある信託法を使って、「財産名義を便宜的に第三者に移し、本人に代わる財産管理者をつくる」、という方法を編み出したのです。 新しい管理者は意思能力健在。 預かった財産を自分のために使えば《贈与》になってしまいますが、全部《委託者=受益者》のためにしますから、税務署も口を出せません。 「人」ではなく「財産そのもの」に着目するなんて、ぶったまげた発想の転換です!
ちなみに、自宅の売却金は信託財産に組み込んで、受益者のために使います。 受託者が勝手な思惑で処分しないか、ですって? そんなことをされないよう、「信託目的」を契約の先頭に書いておくわけです。
名義を移す特別な手法を「信託法」を使って編み出したように書きましたが、 <名義を移して管理権を与える>という手法は、“特別”でも何でもありません。 たいへん難しい話、と受け止められたかもしれませんが、みなさんはこの難しそうなことを普通にやっているんですよ。 <下のイラスト>を見てください。 投資信託です。
名義を移す相手=受託者はこの場合、証券会社です。 お客さま(=委託者)は商品を買い(信託財産としてお金を預け)、 受託者に運用してもらい、配当を受け(受益権)、最後は元本を受領します。
では「家族信託」は。 父は娘に収益不動産を信託し、受益権として賃料収入を受け取ります。 管理は若い世代に任せ楽隠居。
家族信託に慣れていないだけで、仕組みは商事信託と同じですから、むずかしくも何ともありません。 <民法の「代理」という観念を使わずに、自分とは別の管理者(=分身)を造るための制度、これが家族信託だ>と、私は思っています。
<最終更新:2022/11/3>
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