★『大事なこと、ノート』を刷新、PDF版に! 自分の後期医療を託す医師へ《きめ細かなお願書》付き
2016年11月に出版した『大事なこと、ノート』を刷新した。「終活」要素をばっさり削り、最後の医療について徹底的に考えた。きっかけは、「延命拒否」がやたら人々の口の端にのぼり始めたから。「
2016年11月に出版した『大事なこと、ノート』を刷新した。「終活」要素をばっさり削り、最後の医療について徹底的に考えた。きっかけは、「延命拒否」がやたら人々の口の端にのぼり始めたから。「
「寝たきりで延々と生かされ続けるのはかなわない」そういう"空気"が少しずつ広がっているようだ。でも、いきなり「尊厳死宣言」では過激すぎる。もっと「自分の意思」と「医療側の事情」をつなげる文
経管栄養の代表格、胃瘻(いろう)は多くの人から嫌われている。経鼻胃管栄養法の鼻からチューブも同じくだ。チューブにつながれて延々と生かされる、“むだな延命”措置………。現実に見たことがなくて
「延命治療拒否」が最近、流行にでもなっているのだろうか?拒否するのは勝手だが、これが”社会的な空気”のようになるなら「それは違うぜ!」と言っておきたい。 (さらに…)
自分はどのような状況なら「延命」を望まず、静かに死を受容するでしょうか。「尊厳死宣言」のような居丈高な物言いでなく、謙虚に死を迎える覚悟。私を生かすため懸命に英知を絞り努力してくださっている医
人生終末期の「延命拒否」についてあらためて考えています。1つ重要なことに気がつきました。「延命拒否」というとき、私たちは「入り口」のことばかりにとらわれています。しかし今、議論が必要なのは
父が脳梗塞で倒れ発症からわずか5日後、「鼻からチューブを入れて栄養補給するか(経鼻栄養)」担当医師から選択を迫られたことを、先日書いた。このことはジャーナリストとして、行政書士として、人生終末期の
父はいきなり崖っぷちに立たされてしまった──。脳梗塞で倒れ今、「経鼻栄養」にするかどうかを迫られている。いや、直接的に”最終決断”しなければならないのは「患者家族」である私だ。発症から
ご好評をいただいている『大事なこと、ノート』第5刷を、PDF版に切り替えました。メールをいただけば、すぐに添付ファイルとしてお送りします。冊子でお送りすると、つい身構えてしまい、結局「あるだけ